「退職時に有給消化したい!」言いづらさを感じている人に使ってほしい話の切り出し方。
どうも、行動型考察系ブロガーのカズマです。
今回2年働いた金融機関を辞め、転職することとなりました。
さて、今回は退職の時に一番気を揉んだ有給消化について話したいと思います。
このテーマについては色々と思い悩む人も多いでしょう。
僕は最終的に付与されている有給は全部使わせてもらって、GWが被ってたから実質一か月の休みをもらったことになりました。
お金をもらいながら一カ月ニートとか天国かよっ!と思わずにはいられなかったのですが、正直言いだしづらかった、、、。笑
実際問題、「本当は取りたいけど言えない」とか「申請したけど取らせてもらえなかった」とかって話はチラホラ耳にします。そして結局嫌な思いをしたくないから我慢して有給消化せずに退職したんだよねーっと。
こういう話の根本にあるのは、退職するときに有給とるとか嘘だよね?っていう価値観がはびこっている、結局交渉するのは自分でありストレスがかかる、ということです。
もし今退職を検討していて有休消化について切り出そうかどうか迷ってる、という人の参考になればと、今回このトピックについて書いてみました。
そもそも有給の制度って?
労働基準法で定められているのは就業してから半年後に10日の有給付与、それから1年毎に日数を増やしながら付与するというのは最低限守ってくださいよーという点です。あと、付与されて使い切れなかった分は2年間繰り越しされます。
よく話題にあがる繁忙期の有給拒否がありますが(企業さん側が「めちゃくちゃ繁忙期で今休まれたらマジで困る」というときに有給を取るタイミングをずらされることもある)、これは退職時の有給取得については適用されない制度だとされています。
従って、法律上では退職時に有給消化するのはなんら問題ないということになっています。
有給取るの?って風潮
法律上オッケーとは言えども、皆が中々有給を取れずに悩んでいるのは何といっても「えっ、辞めるのに有給取るの?」という価値観の壁があるからでしょう。
参考までに僕の前職はバリバリの古き日系企業って感じで、福利厚生の制度はしっかり整っていたけど、退職時に有給消化するなんてあるまじき行為だという考え方が占めていました。先に退職していた仲のいい先輩から「よく有給取れたね」って言われたくらいです。
そしてこの「風潮」は本当に企業によるところが大きい。
外資系に勤めている友人にこの話をしたら「えっなにそれ、気持ち悪い。」って言われてしまいました。彼らは有給を取ることが当たり前みたいです。
とにかくこの価値観の壁があるところは本当に苦労すると思います。
「有給取って辞めたいですとか言ったら色々言われるんだろうな」と切り出す前から憂鬱になるし、言ったら言ったでやっぱり色々言われるし。
加えて退職の話は基本上司にするもので、完全に立場はこっちの方が弱い。そんな精神的にも下手に出た状態で、彼らは自分の価値観が正しいと思って言いたい放題言ってくる。
書いてるだけでしんどくなってきましたが、このように権利としては当然のことを言っているのに、なぜか有給を切り出す側の人間が悪いという謎の状態が出来上がります。
例えば、”俺は認めないっていう上司”がでてきたりとか。
有給をとろうと勇気を出して相談したら「そんなことは認めない」と突っ張り返されるパターンなんですが、認めないってなんだよ、あなたは法をも超えた神なのですかと思ってしまいます。
それはさておき、「ヤバい承認されなかった、説得しなきゃ」と真面目になっちゃうんですよね。そしてここからは上司と自分との根競べです。こじれたらものすごくストレスがかかるのが目に見えてますよね。
じゃあ有給は諦める?
「嫌な思いするくらいなら有給取らないで辞めるよ!」という方、それはそれで一つの手だと思います。
しかし、後になって「有給取れなかったなあ、、、」と悔やんで嫌な思いをすることも目に見えています。
やっぱりとれるものなら有給取りたいですよね。
そんなあなたに、僕が試してよかったと感じた是非使ってほしい話の切り出し方をお伝えします。
相手も人間であることを忘れない
退職の話となると、どうしても企業との契約ですので自分と組織の関係性で物事をとらえがちになります。しかし、課長であろうが支店長であろうが社長であろうが、権限や肩書以前に上司も感情を持った人間です。
わかりやすい例で言うと、イライラしている時やピリピリしているときよりも、機嫌がいい時の方が言いやすいの当然です。
今の自分だったらどのタイミングで有給を取りたいって言ったら、相手が「いいよ」と言うか出来る限り考えてみましょう。
早い段階で切り出す
僕がお世話になった転職エージェントさんからは退職交渉が一通り終わった段階で切り出すのがいい、と言われました。
たしかに相手の感情を汲み取ってという意図もわかりますが、これは非常に難しいところです。
退職の手続きはあなた一人で完結するものではありません。
上長があなたの具体的な退職日を受理して人事部に連絡して、それをもとに退職用の書類を作成したり退職金の手続きを進めたりします。
従って、一度退職までのスケージュールを共有してからだと、有給消化の切り出しは一波乱生む可能性があります。
体感的にベストなのは、一度退職の意向を示してから次の退職交渉の時点かと思っています。
実際どうやればいいの???
具体的になのが欲しい!という人のためにスクリプトを作ってみたので参考にしてください。
ー1日目ー
あなた「すいません、課長。少しお話させていただきたいことがあるのですが、お時間よろしい時を教えて頂けませんか。」
上司「いいよ。どうした。」
あなた「出来れば他の部屋でお話したいのですが。。。(ここで深刻な話が来ると身構えさせます)」
~移動~
あなた「実は退職をしようと考えています。」
上司「!?(ここからなにか嫌なことがあったのかとか、色々押し問答が始まります)」
上司「で、いつ頃退職する予定なの?」
あなた「1、2ヶ月以内にはと考えておりまして、今日はひとまず意向だけでも伝えたく思い、詳しい話は後日させていただければと思うのですが。」
上司「(わかったとか説得とか何かしら来るでしょう。うまく切り抜けて)」
ー2日目ー
上司「もうやめるというのは変わらんのか。(みたいな押し問答がまたきます)」
あなた「はい。昨日お話していなかった退職日なのですが、○○日を考えております。」
上司「そうか、、、。(いや忙しいからもう少し引き伸ばせないかとかきますが無視してください)」
あなた「退職に重ね恐縮なのですが、残りの有給も消化したいと考えているのですが、、、。(この時点で有給を使うんだという意思表示をしましょう)」
このあと上司がきれるか受け入れるかは人次第っていうのが正直なところです。
どっちにしろ、この後必ず具体的な退職日の調整をしていくことになるので、ポイントは調整に入る前に「有給を使います」といっておくことです。
まとめ
こんな感じで「有給消化は悪」という壁が立ちはだかってくる企業にお勤めの方は、なるべくすんなりと自分の意見が通るように考えを巡らせた方が良策です。
まともな話をすると本当はこの価値観が悪いんだけど、現実問題そうはいってもしょうがない。労基とかも相談だけで実際に助けてくれないし(僕も電話してみましたが全然使えません)、じゃあ社労士使うかって言ったらそこまでしなくていいっていう人が大半でしょう。結局自分でやるしかないから如何にメンタルを削らずに有給をもらうかしかないんですよね。
参考になったかな?
みなさんの検討を祈ります。
第二新卒採用で考えておきたいメリット・デメリット。
先日僕の転職活動の概要についてつらつら書きましたが、転職活動の中で第二新卒採用について少し思うことがあったので別記事という形で書きたいと思う。
ざっくりいうと、新卒採用で失敗したときに救いにはなるけどそれまでの社会人の時間を無駄にした感がハンパない制度だと思ったってとこです。
そもそも第二新卒って?
基本的な定義は社会人経験3年未満が第二新卒、3年以上が中途採用ってなってるようだけど、転職活動中は第二新卒じゃなくて別に中途で受けてもいいよって言われてました。活動を通してのイメージとしては、第二新卒でも経歴前提、ポテンシャル半分社会人経験半分って感じ。
経歴前提は新卒採用と変わらない気がしました。MARCHだったらこのくらいのレベルの会社っていうのが、MARCHから地方金融機関に行ったんだったらこのくらいのレベルの会社って感じにワンクッション増えただけ。やっぱり企業に勤める際には上流下流はきちんと意識すべきだと強く思った。
ポテンシャルについてはTOEICの点数だったり資格だったり、あとWEBテストの点数。
中途採用と比較して一番違いが大きいとよく言われるのが職務経歴だと思う。そこらへんあんまり第二新卒関係ないみたい。だけど、エージェントさんからはキャリアのつながりがうんちゃらって結構言われた。
なんか中途とあんまり変わらないんじゃ?と思った瞬間は幾度とある。
第二新卒で感じたこと
僕は金融機関からITコンサルの一社に内定を頂いたわけですが、実際に内定を頂いてこれから働いてみて感じたのは、「この2年間はなんだったんだ」ということだ。
いや、これは本当に取り方次第だと思うんだけど、良くも悪くも第二新卒って新卒扱いなんですよ。
お給料も新卒扱いだし、別業界別業種にいってしまえばキャリアとしても一からやり直し。中途採用と違って正直色々と遅れしかとってないってことになる。
まじで社会人なってから全部キャッチアップし直すって想像以上にきついですよ。
ってなると、転職前のキャリアは無駄な時間だったと言い切っても過言じゃない。
ただし、これは自分がどの分野でキャリアを積んでいきたいかがはっきりしている場合とお給料が欲しい場合の話であって、別の見方をすれば、もう一度就職活動を白地に近い状態でやり直せるチャンスだとも言える。
この点で僕は第二新卒に救われました。新卒の時と比べると採用人数が少なかったり、そもそも第二新卒をやっているのかどうかという問題があったりと、イーブンとは言えないが比較的新卒と近い形で動けることになる。
色んな業界、職種をつまみ食いしたいって人にとっては第二新卒の制度は願ったり叶ったりかもしれない。
まとめ
自身の転職活動を通じ、僕は第二新卒採用のメリットは仕事をガラッと変えたい人への割安切符であることだと思っている。
話を聞く限り、中途採用でも別業界への転職はキャリアに繋がりさえあれば出来るみたいだ。業種を変えるのだって、会社内で部署移動してそれから転職というパターンも十分あり得るらしい。
だが、中途に比べて第二新卒は圧倒的に舵きりのスピードが速い。全体として給与面やキャリア構築面でデメリットを感じる部分もあるが、その点が一番の魅力なんじゃないかなあと考えている。
ただ僕個人としては、第二新卒を使わないでいいように新卒で行きたい分野にばしっといくのがベストだよなってとこです。
そうはいっても、「第二新卒で転職したい!」という方は以下の記事を参考にしていただければと思います。
今日も残業だぜ、ヒーハー。
フランス人の女性が可愛いんだ。パリジェンヌに憧れる男の昔の話。
最近第一次結婚ブームに突入している。
仲の良い人たちが幸せになっていくことは本当にめでたいことだ。だけど、20代中盤という状況で自身の恋愛について半ば強制的に考えさせられる辛さがあるのも事実だ。
ちなみに僕は、パリジェンヌの奥さんが欲しいと思っている。
いや冗談じゃなくて。本気で。
この話をすると大概のリアクションは3パターンくらいに分類される。
①「そうなんだ!頑張りなよ!」とすんなり受け入れる。
⇒自分の価値観で生きている人タイプ
②「えっ。いや、でも凄いよ!」と笑いながらも話を聞くうちに最終的に受け入れる。
⇒自分なりの価値観を持ちつつも一般社会と併存して生きている人タイプ
③「は・・・?」と完全に別人種を前にしたかのような反応。
⇒常識人タイプ
ちなみに僕の両親は③よりの反応だった。よりじゃなくてむしろ完全に③だったような気がする。
それでもしつこく言い続けたのが通じたのか、「披露宴は日本で挙げてよ。さすがにフランスまで行くのは体力的に無理だから。」という話に落ち着いた。
本音はそんな事言ってないで早く孫の顔見せてよ、とのことらしいんだけど。
これもまた運命。以上、みたいな。
だいぶ話が反れたけど、パリに住みたいなー、パリの女の子と付き合いたいなーと思い始めたのは大学4年の夏、バックパックで初めてパリに足を踏み入れた時。
ヨーロッパの街並みはどこも綺麗だったけど、パリだけは格別の美しさだった。
もともと海外に住みたいなーという漠然とした思いがあったけど、どこに住むかが明確に見えた瞬間って感じだった。
これ以来、本当にパリに住みたいのか?という部分を確かめるべく、大学ラストでパリに一か月住みに行ってみたり、社会人になってから世界四大都市(ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京)でまだ足を踏み入れていなかったニューヨークに行ってみたりした。
その結果やっぱりパリだ、と思えるようになった。
ちなみにパリの女の子と付き合いたいなーと思ってるのは、バックパックの最後にエッフェル塔で地元の女の子と一緒にエッフェル塔ポーズで写真撮るっていうのをやって、一緒に写真を撮ってくれた女の子がめちゃくちゃ可愛かったからです。笑
で、パリに1カ月弱行った時にこのブログを使っていて、読み返してたら懐かしくなったので、最も読まれた記事&僕的に衝撃的だった記事ベスト5を紹介してみようと。
では、さっそく。
第5位:僕がパリに1週間滞在して感じた8つのこと
パリ滞在中は毎日ブログを更新するっていう目標を立てていて、この日は正直あんまり書くことがなくて苦し紛れに書いた記事。いや、でも読んでもらえるだけありがたいです、ホントに。
主観バリバリだけど、まあ何かの参考にでもなれば。
第4位:身震いがする、そんな恋の街
これは恋愛観っていう点でものすごく衝撃を受けたことに関する記事。
記事内ではさらっとしか触れてないんだけど、こんな甘美で情熱的でいいんだって思えた出来事。
第3位:私のお家、パリシェモア
滞在中にお世話になったアパートメントについての記事。
一週間単位でパリに旅行に行く女性なども利用しているらしく、参考に見ていただけていたみたいです。
感謝感謝。
第2位:フランス農業展
この記事1つで1,000PV軽くいった、僕の中では初バズりエントリー。
フランスの友達に暇だよーって連絡したら連れてってもらったくらいの勢いだったので、書いた本人としてはレベル感があんまりわかっていないけど、結構世界的な農業展らしい。笑
第1位:カウチサーフィンしたら全裸になった
断トツで衝撃的な出来事。
生涯の中で見ず知らずのおじさんと全裸で過ごすことなんてもうないと思う。
以上、TOP5でした。
第二新卒で転職したMARCHマンが教える転職エージェントのメリット。
私事だけど、転職をした。
前職は新卒から丸2年、今年の5月に退社して7月から新会社で働く予定だ。
このご時世転職なんて当たり前だし、新卒で入った大手企業を半年で蹴ってフリーランスになりましたや、ベンチャーに行きましたって話もたくさん耳にする。
だけど、「よし、じゃあ僕/私も転職だ!」って思って転職サイトに登録してみたものの、結局やり切れずに気づいたら何年も経っていて、もうやばい間に合わないってなっている人が非常に多いのも事実だ。
僕の前職は金融機関で、金融機関って本当にえげつないから転職したがっている人がものすごくいる。実際同期の何人かから「どうやって活動したか教えて!」って問い合わせが来たくらいだ。
で、同期の話を聞いてて気づいたこと。
それは転職エージェントじゃなくてみんな転職サイトを利用してるってことだ。
だから今回は、ちょっとでも転職を考えている方々の参考になればと、僕の転職活動の概要について触れたい。
最初から転職がしたかった?!
最初に僕のバックグラウンドについて触れておいた方がいいかなと思う。
地方の進学校を出た後上京しMARCHへ入学。
そんでもって一般的な学生同様就職活動に突入し、本当はコンサル業界に行きたかったんだけどいわゆる就活の失敗とやらで地方の金融機関に勤めることになった。ちなみに金融機関はその一社しか受けていないという、筋金入りの興味のなさ。
なので、東京にいる間に既にエージェントに接触して転職の相談をしてました。もうこの時から戦いが始まってたっていう。
「いやいや、就浪しろよ」って思う人もいるかもしれないけど、生きていくためにお金が必要だったし、なによりその時の僕はあと一年学生を続けるよりも働いた方が仕事に対する価値観がより固まり道が明確になるだろうと考えていた。
半年から一年で絶対東京戻ってきてやる、そんな思いを胸に秘めて社会人生活をスタートすることになった。
自己PRが書けない
必ず転職してやるっていう決意をもって入社したものの、フワフワしてたらいつの間にか一年が経っていて。
このままじゃまずい、遅れれば遅れるほど転職活動するのが億劫になってくるはずだ、と思い幾つかの転職エージェントに登録をした。
どうしてここで転職エージェントを選んだのか?
それは僕の新卒の時の失敗要因が志望動機や自己PRを対就活用に作りこめてなかったことだと分析していて、そこを手厚くカバーしてくれるサービスだったからだ。
もちろん最初の方は失敗だらけ。8月くらいに転職サイト6個くらい登録してみたものの、登録しすぎてタスクに追われたり、数日レベルでの決断と行動が求められ、地方勤務ということが痛く面接の日程が合わずに頓挫したり。この時初めて転職サイトを利用する時の心構え的なものを体感した。
それ以外にも、転職にあたり職歴という点で大きな問題があった。
当時の僕は内勤だった。やはり転職となると営業(出来れば法人)の経験が欲しいとエージェントさんからいわれ、動き出そうとした活動は一旦休止にはいった。
ちなみに配属されていた支店で営業が出来るのは3年目からというのが通例だった。そこまで待ってらんないと、内勤のくせに個人から契約とってきたり法人との取引を拡大させたりした。
あとはいろんな運もあって1年半で営業に移動した。
添削以外にもメリットが、、、!
土台は整い、こっからが本番だと社会人が2年終わってから面接を受け始められるように動き出すことになる。
営業に配属されたのが2年目の10月で、それと同時に活動を再開した。
本業は残業をなるべくしないように気を使いながら、家に帰ったらゴリゴリ志望動機や自己PRを準備する。転職エージェントはエントリーまでにあまり準備の時間を与えてくれないから登録する前にある程度自分で練っておくことが必要だった。
今振り返ってみると、この第三者の圧力的なものがあったから、忙しい中でもなんとか活動をやり続けることが出来たんだろうなあと感じてます。
転職サイトで自分のペースでとか言っちゃてると絶対先延ばしにしちゃいますから。
そして事が動いたのは2017年1月末。
東京に遊びに来たついでに大学の時に相談していたエージェントに連絡をとり再会。
僕は第二新卒で転職活動をしたんだけど、それが今ボリュームゾーンにあると。
加えて僕が望む業界は例年に比べ採用人数が拡大している。
こんなライブな業界情報はエージェントに接触しないと、自分で調べてますくらいじゃ手に入らなかった。
心の底から急な申し出に時間を作ってくれてありがとうと思った。
これは 押し込むしかない。
遅くなれば遅くなるほどエネルギーが無くなって転職できなくなる。そのタイムリミットが刻一刻と迫っている緊張感が僕をせかしていた。
それからはエージェントに職務経歴書等を手直ししてもらいながら数社に応募。
仕事の方は期末が近づき多忙だったが、応募企業を紹介してくれたり企業とのやり取りは全部エージェントが行ってくれたりとだったので、なんとか急ピッチのスケジュールでやっていけた。
遠方ということで一次面接はSkype面接がほとんどだった。
そして一社、内定をもらったのが3月末の話だ。
こうしては僕は前職を退職し、ITコンサル会社に勤めることになった。
まとめ
応募から内定までは大体1か月ちょっとだったけど、なんだかんだゆるく動いた期間を合計したら半年くらいは時間を割いていたと思う。
僕の場合は最初から転職する気満々だったので、そのおかげである程度モチベーションは維持出来ていたって考えてます。なんだかんだ言って時間管理したり面接落ちしたりしていく中でメンタルがものをいう部分はかなりあると思う。周りにも転職サイトには登録してるよっていうだけの人は本当にゴロゴロいるし。
あと就活の時も思ったけど、地方在住は中々に不便でした。動きづらいったらありゃしない。本当にスカイプ面接様様でした。
そんな過酷な状況下でも転職をやり遂げることが出来たのは、転職エージェントのサポートがあったことが大きいと考えてます。
他に活動中に感じたこととかは、また別の機会に。
これから”若さが贈る”を再開するにあたって。
最近ふと本格的にブログを書いていこうと考え始めた。
きっかけみたいなことについては追々触れていければと思ってるけど、とりあえず本気で取り組むにあたって、どんなコンテンツを発信していくか、言い換えればどんなスタンスで臨むかってところを詰めていかないといけなくて。
ちゃんと考え直さないといけないなーと、そもそもなんでこのブログ始めたんだろうっていうところからきちんと立ち返って、コンセプトを再定義しなおしました。
始めたきっかけ
一番最初に記事を書いたのがもう2年以上前。
たいそうな理由じゃなくて、ただ周りにやっている人が多くて気になったから。
ブログ面白そうだなーって思ってたところに、パリでの一か月滞在生活が重なった。
じゃあ、やるかと。
ほんとにそんな軽いノリなんだけど、結局パリにいる間の30日間毎日続いて、結構読んでいてくれている人もいて、自分でもそれなりに楽しくって、というのが始まりだった。
それから大学卒業を機にいったん封鎖して(ほんとはパリから帰ったらやめるって最初から宣言してた)、でも社会人になってからもたまに書きたいなーって思うことがあってちょくちょく記事を書いてました。
若さが贈る?
このタイトルにはかなり思い入れがある。
ちょうどブログを書き始める前に松下幸之助さんの「若さに贈る」を読んでいた。
内容は自叙伝+若者たちへの金言みたいな感じだったんだけど、その中の一節に心の在り方について書いているところがあった。
「いくつになっても青春は持ち続けられる。そんな心持ちで生きている。」
たぶんこんな感じだったと思う。見た瞬間にこれだ、って思った。
青臭さ全開で生きてる若者が、等身大の行動を届ける、だから若さが贈る。
一文字もじっただけだけど、かなり気に入ってます。
これからの"若さが贈る"
そんなこんなでブログを立ち上げてから2年が経って、なんだかんだで書くことに戻ってきたわけだけど、僕がブログを書く目的は1つ。
こんなヤツもいるよ、っていうのを届けたい。
社会人になってからこの2年間、いくつか経験というものが溜まり、加えてそれなりの制約の中で生きてきた。そうすると、どうしても現実的になってきている自分がいる。明らかにかつてのようなムチャクチャさが無くなってきているのがわかる。それでも、「ワクワクしてたいよな」ってことを貫いてきたつもりだ。
ある日、とある女の子からこんな話をされた。
「毎日がすごく楽しい。同期も仲良しだし会社もいい人ばかりだし。でもなんとなく満たされてないんだ。なにか大きいこと1つ、やってみたいんだけどな。。。」
彼女からしてみたら僕は別次元の人で、常に自由でうらやましいらしい。
でも、実際はそんなことない。
経歴だって並だし、飛びぬけた才能があるわけでもない。
ただ人よりちょっとだけ、身軽なだけだ。
だから同世代でもいい、大学生でもいい、人生の先輩方でもいい。「こんなヤツがこんなことしてるのか、じゃあ俺もなんかやってみようかな」って感じで、このブログが楽しいなって思えることへの後押しとなれば本当に嬉しい。
何してるんだよってことをやってたり、考え方が甘っちょろいなって思うことだったり多いとは思う。でも僕は、それでいいと思っている。それが青春だから。笑
そんな思いを込めて、これから書いていくので宜しくお願いします。
だれハピ基金、始めました。
「どうした、最近更新してないじゃないか?」
すいません。実はこの2週間、全くネタが思いつきませんでした。
やっぱり単発で毎週はきつかった。そんなアイデアぽんぽん出てこないし、そもそも一週間以内で準備とかエグイって。ガッツもないけど見切り発車すぎました。反省です。
というわけで、これからはちょっと趣向を変えてみようかと思います。
具体的には単発ではなく、中長期的な活動をしようと考えてます。
なんで中長期的な取り組みにシフトチェンジするかっていうと、単に単発が難しいからっていうのと、自分の中で何か一つのことに長いスパンで粘り強く取り組むってことが出来てないなーと思ってたから。
なので、これから何か一つのことに向けての活動を、毎週綴っていけたらなーと思っておりますがな。
じゃあ、そんな趣向を変えた一発目。
やることは決めてました。
給料の1%を毎月積立てて、誰かをハッピーにしたいって思ってる人とか、こういうことやりたいんだけど勇気がないって思ってる人とかを、応援する資金にする。
なんでこの発想にいきついたんだろうなあ。あんまり覚えてないんだけど、前にすごいことをやらなくてもいいから自分に出来る範囲での誠意を見せることが大切だ、みたいなことを先輩から教わって、以来その考え方が頭の片隅にずっとあって、ここに辿り着いたみたいな感じだ。
まあ、人生振り返ってみたときに、自分の転換点を作ってくれた人って何かいるじゃないですか。それが良くとも悪くとも。
僕の場合、高校から大学に進学するタイミングそんな人がいて、おこがましいけど自分も誰かの人生の中に関われるような人間でありたいって思ったりしてた時期があって。
あと、僕が今月で25歳になるんですよね。
なぜだか自分の中で25歳ってすっごい特別な歳で、このタイミングで今までとは違う何かをやってみようって思ってる部分もあり。「これだ!」みたいな。笑
いやー、ほんっと単純。
とりあえず積立て期間は1年で、来年の6月前くらいに基金(だれハピ基金と命名)の利用者募集して、いたら面接して応援するかどうか決めて、いなかったらいなかったで募金でもしようと考えてます。
まだ全然詳細詰まってないんでこれから詰めていかなきゃなんだけど。
全然関係ないけど、ここ最近ずっと頭の中でファンモンの告白のサビがエンドレスリピート中。
まあこんな感じで始めてるんで、よろしく!
年収少なくない?とかは落ち込むからやめてね。笑
母の日にかこつけて、人生最大の敵に向き合ってきた。
まるでジェイソンからチェーンソーでぎったぎたに引き裂かれたように、僕の心はぐちゃぐちゃだった。
みたいなくだりは置いといて。
まあ、ちょっと些細な事なんだけどプライベートが上手くいってなくて、なんか心穏やかじゃなかったので行きつけのバーに足を運んだ。
「いらっしゃいませ。」
店内を見渡すと僕一人のようだ。カウンターのいつもの場所に座り、メニューを手に取る。ジンベースのカクテルを探すと、”ブルームーン”が目にとまった。飲んだことはない。だからこそ興味が湧く。
ー昔愛し合っていた一組の男女がいた。男はフォトグラファーで、北極から月を撮るんだ、とだけ言い残して女のもとを去っていた。哀しみに明け暮れた女は、一人バーに足を運ぶ。そんな女を見たマスターは、薄白く光る青いカクテルを差し出す。そう、それはまさしく男が追っていった風景。そして、女は呟く。「マスター、いじわるね。」と。-
もの寂しげな僕に、マスターがブルームーンの由来を語ってくれる。
てなくだりもここらへんにして。
まー飲んでたわけですよ。今週の誰ハピPJの準備しなきゃなーって思いながら。
テーマは決まってました。
前回のゴミ拾いから色々考える中、そもそも誰かをハッピーにする時間をとかいう前に身近な人に対してきちんと向き合えてないヤツがそんなことしても、「なに言ってんだい、バッカヤロー」って感じじゃないのかなーと思えてきて。
つまり、
親を喜ばせよう。
偶然にも先週母の日だし、ラッキーみたいな。
しかしこれには大きな問題がある。
実は僕、親のことあんまり好きじゃないんですよね。いやーまあ僕が未熟っていうのもあるんですが、過去の色々思い出すだけでゴフって感じで。
いやー、ほんっとムリ。
そういうこともあって、 まじでやるのかやらないのか悩みぬいた挙句、これは避けては通れない道だと決意。だがまたここで問題。
何をすればいいかさっぱりわからない。
まあ今まで全然そんなことしてきたことがないから当然っちゃ当然。
手紙と花か。。。?
てか一緒にいるだけで十分喜ぶんじゃねーのか、でもそんなのでいいのかな。
みたいな感じで3日間考え中の状態だったわけで。
ブルームーンを飲み終えてスタッフのミズキちゃんと仲良く話していたら、なんか勢いのいい姉ちゃんが来店。
なんか鳥居みゆきっぽい。
まだ飲んでないはずなのにやったらテンションが高い。じゃぱネットかっつーくらいスタッフに捲し立ててしゃべる。
するとその矛先は僕に。
「お兄さん、お仕事帰りですかー?うえーい!」みたいな。
見るからに30半ばのはずだ。うえーいってなんだよ、うえーいって。嫌いじゃないよ、そういうの。
他の客やマスターを交えて話が弾みだすと、何かのきっかけで母の日のプレゼントが話題になった。
「いや、なんか最近ね、母の日のプレゼントに現金わたすっていう人が増えてるんだけどさ。私はそんなんじゃないと思うわけっすよ!一輪の花でもいい。なにか私のことを思って動いてくれたっていうのが大事なんじゃないかなって思うんですよ!」
鳥居みゆきやばい。ちょっと惚れる。
ついでなんで、僕は悩みをみゆきにぶつけてみることにした。
「僕、今週末実家に帰ってカーネーションと手紙を渡そうと思ってるんですけど、どうですかね。」
するとみゆきが言う。
「おっにいさん!!!あんた、男の子がそんなんしちゃだめよ!!お母さん泣いちゃうよー!!!」
「でも、ホントにそれしてあげたら、お母さんすごく喜ぶと思うよ。」
みゆきハンパねえ。
そして、一週間遅れの母の日。
結局一日母のそばにいて、語らい、手伝い、買い物に出かけ、ご飯を食べて。
あっという間に日が暮れていた。
別れの時間が近づき始め、ついに母が口を開いた。
「あんた、突然帰ってきてどうしたん。」
ああ、そうだ。
「もしかして・・・、結婚?」
「いや、それはない。おれフランス人と結婚するのが夢だから。」
「そっかー!もー、なんかと思ってたわ。ただ帰ってきただけなんだね!」
即答する僕も僕だと思ったが、そこで納得する母も母のような気がする。
ホントにホントの帰り際。
「これ!一週間遅れだけど母の日だから!」
僕は準備していた紫のカーネーションと手紙を取り出した。
「あーーーーー!!!こんなの初めてやーーー!もう涙が出るーーー」
と言って母はマジで泣いていた。
まだ色々な感情が胸の中で渦巻く中、
ガチだったよ、みゆきさん・・・と心の中で呟きながら
だれハピPJ2弾の活動は、幕を閉じた。