若さが贈る

いつまでも、心に青春を。

「若いうちはもっと遊べ」ってアドバイス、いったいどう意味なんだろうね。

「若いうちは遊んだほうがいい」という言葉を、誰かに一回くらいは言われたことがあると思う。思い返してみれば、大学に入るぐらいから「遊び」については結構話題に上がるようになった。特に社会人と会ってるとき。「もっと遊んだほうがいいよ」とか「今の大学生ってどんな遊びしてるの?」とかだ。

正直当時の僕にとって「遊び」に関する話題って結構難しかった。なぜなら大学に進学するまでは受験勉強と部活の2つしかやって来なくて遊びには程遠い人間だったからだ。それ以上に「遊び」=「楽しい時間」っていうイメージがあって、楽しい時間と言ったら剣道(部活)をしているときだった。でも剣道は遊んでるとは普通言わない。だからいつも返答に困っていた。

ちなみに反対に「どんな遊びしてるんですか?」聞くと「飲みに行ったりかな~」という回答がほぼ100%だった。いや、飲みに行くのは食事だと思うんだけどなっていつも思ってた記憶がある。そもそも飲みに行くのがあんまり好きじゃないっていうのもあるんだけどwww

 

そんな感じで中々遊びの本質をつかめずにいたが、最近になってようやくその正体が掴めるようになった。

 

「遊び」を意味で捉えよ

なんにしても遊びって推奨されてるわけですよ。よく学び、よく遊べとか、よく遊べ、そして働けとか。じゃあなんで皆が口を揃えて遊んどけ遊んどけって言ってるか、それには2つの意味が含まれていると思う。

 

・魅力を作る

・遊ばないを知る

 

遊びで魅力を作れ

遊びの必要性を考えた時に、これが最も重要な部分になってくると思う。

魅力と一言でいっても、その要素は2つあると思っている。それは余裕と幅だ。

社会人でわかりやすい例なら仕事。仕事仕事仕事で余裕のない人って、どこかしら物足りなかったり危なかしかったりする。わかりやすいく言えば息抜きかな。だからやっていて楽しいものじゃないと意味がない。それは人それぞれでいいと思います。海が好きならサーフィン行ってもいいと思うし、バスケしたいんならすればいいし、バチ飲んでぶっ倒れたかったらそれでもいいと思う。とにかく何かしら自分の中で切り替えるためのもの、おもいっきし楽しめるものを生活の取り入れていくことが遊びを推奨する意味だと思ってます。

 

余談だけど恋愛に関しても同じことが言えるっていう意見が多い。僕はあんまりこういう考え方は好きじゃない。魅力的になるためにクズになるって、わかるんだけど論理矛盾が甚だしいwww

過去は隠せばいいっていうけど、そういうまっすぐじゃない向き合い方は嫌いです。

 

そして二つ目の幅。

これは遊びそのものというよりか、遊びを通じての経験が重要視されてるはずだ。

遊ぶ過程での集団を折衝する能力を身に着けたり、今まで知らなかったことを知ったりする。そういった過程が血肉となりその人の魅力を構成する一部になるからなるたけ遊んだほうがいいよって。

 

遊ばないを知る

これはどっちかというとサイドメニュー的な意味合いだと思ってる。でもある意味大事。若いうちに遊ぶことによって遊びのブレーキーを身につけろってことです。例えとしてはあまりいい話ではないんだけど、家庭を持ってから風俗にハマって奥さんが知らないうちに借金たまってましたとか、若い子にどっぷりハマってしまって家庭崩壊とかわんさか聞きます。

 

まとめ

つまるところ、自分が楽しければなんでも「遊び」と言っていいじゃんと思ってます。

趣味とかの他のカテゴリーと必ずしもMECEになる必要はないのかなあと。

逆にそこで人それぞれの価値観みたいなものが出てくるから、その人にとっての遊びってなにかっていうのを知れることって、相手を知れるものすごくいいチャンスな気がする。

一人旅の楽しさを感じてほしいから、バックパックで起こった8つの珍事件を紹介したいと思う。

旅行って、けっこうみんな好きなもんだと思ってます。

なんでかって、仲間たちとわいわいガヤガヤしながら非日常の一時を味わえるってことだったり、綺麗なものを見れたりで楽しからなんだろうなあと。

誰かと思い出をシェアする楽しさもいいけど、たまには一人旅もチャレンジしてみたらってことを今回は伝えたい。

一人旅のいいところは、誰にも気兼ねせずに自由に行動できるところ。そして、なにより普通に生活していたら出会えない人たちと何かがあって、それがめちゃくちゃ楽しいところ。

じゃあ実際に一人旅したらどんなことがあったの?ってとこを紹介したいと思います。

 

ロンドン市内を朝6時に散歩してたら地元民と間違えられる

一人旅だから時間の使い方だって自由。だから朝早く起きたら散歩するし、わざわざ気合いれて身支度したりしない。そうしたら同じ感じで朝散歩している地元民に地元民って間違えられて楽しいトークに花が咲くなんてこともあります。

 

宿で知り合った5か国籍ぐらいの人たちとフランクフルトでクラブにいく

ホステルってたまにバー付きのところがあって、フランクフルトで泊まったホステルがそんなところだった。偶然がやがやしているところに入って話していたら「クラブいこうぜ、フォー」みたいな感じになって、初対面のフィンランドノルウェー、フランス、イギリス、メキシコ、日本でうぇーいって朝までやってました。

ちなみにそこで会ったフランス人にはその後もお世話になる仲になりました。

 

チェコのドミトリーでフィリピン人に金をせびられる

真横のベットに寝てたフィリピン人が速攻で「ワンダラー。」って言ってきたときには衝撃的過ぎて一瞬頭が真っ白になりました。指をすり合わせるな、指を。

 

ヴェネチアの駅で東欧の学生と腕立て伏せしながら野宿する

ヴェネチア宿高いし、ついたのが夜の12時だったから駅で寝ようとしたんだけど、駅しめるからって追い出されて仕方なく駅外の広場に座ってた。そしたら同じように追い出されたお兄さんが横に座ってて。「駅が閉まるとかトラップだよな。」って話しかけたらなぜか意気投合して。ヴェネチアって水多いから夜寒いんですよね。「寒くね?」「うん。」「あったまることしよーぜ。」「プッシュアップ。」って感じで朝まで腕立てしながら話してました。

 

ナポリで家族旅行中の日本人に混ざる

青の洞窟見てみたいって思ってナポリに行った。その日の天候で見られないこともあるってそれまでの道中に会った旅行者から事前情報は入っていたものの、正直なんも調べてないからこれは難易度たけーぞって焦ってたら、偶然前にいらした綺麗なお姉さま二人組ががっつりるるぶ持って予習してきましたオーラはなってたからつい「今日青の洞窟見れるんですかね?」って聞いたら「一緒に行きましょう!」ってなって。これはこの度最大の至福の時だと思って連絡先聞こうとしたら後ろからお父さん登場www

お母さんは仕事の都合で来れなかったから姉・妹・父の三人で来たのーってことでした。謎の家族旅行ジョインでした。そうですとも、最後まで一緒にいたしご飯も一緒に食べましたよ。笑

 

グラナダでヒッピーにガチ絡まれる

一人旅って思ったままの道を行きたくなる。で、グラナダついたらなんかいい感じの山がたくさんあったから登りたくなってなって登ってみた。登山コースとか知らないから斜面ガーって登っていってたら、めっちゃ狂犬病っぽい犬が見えて、洞穴が見えて(山の斜面だよ?)、気づいたらなんか腰に布切れ巻いた人に絡まれてた。「これ死んだ」ってガチで思いました。そうしたら「ここは観光地じゃねんだよ。早く帰れ。」って優しく帰していただきました。怖かった・・・。

 

バルセロナでフランス人集団とショット勝負する

これはドミトリー一緒だったフランス人三人組に絡まれて、彼らが持ってたウィスキーでトランプゲームしながらガンガンショット飲みしてました。フランスの見どころとか安いお店とか教えてくれてめっちゃ優しかったです。

 

ドミトリーでカップルが普通にセックスしてる

これはもはや笑えた。ドミトリーって二段ベットのとこが多いんだけど、僕が寝てるベットの上でギシギシやってるのね。おい、まじかって思ってたんだけど、朝起きたら当然のように同じベットに寝たままチュッチュしてたんでもうどうでもよくなった良い思い出。

 

まとめ

みたいな感じで楽しいことがいっぱい起きるんで、是非一度一人旅をやってみるといいですよ!

 

 

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『もったいない』がもったいない。捨てることを恐れるな。

「もったいない。」この言葉は一種の魔法の言葉だ。

時に称賛され、時に僕たちの足かせにもなり得るものだ。

中学生ぐらいの頃、世界一受けたい授業で「もったいない」の精神は素晴らしいという趣旨の授業が行われていた。内容はうる覚えだが、確か世界の中でこの「もったいない」という言葉があるのは日本だけであり、この素晴らしい考え方を世界に広めていこうみたいな感じだったと思う。

 

そんな「もったいない」は、基本的に過去と確定された未来へのベクトルの二つで作用する。

こんなに食べ残してもったいない(この食べ残し分の材料費はもう払っていて不可逆的なものなのだから、きっちり回収しなきゃ)や、あと1か月我慢して退職していればボーナスがでていたのにもったいない(本来であれば得られるものを他の選択肢を取ることによって失ってしまった)といった具合に。

確かに単体の出来事で見た場合、上記の例はもったいないこと甚だしい出来事だと思う。

しかしここで僕が問いたいのは、そのもったいない精神に負けて他の選択肢の優先度が歪められていないかということだ。

 

その点企業の昇進の制度はよく出来ている。

そろそろ辞めようかどうか迷いだした時に、数年先に昇進が出来るように計算されている。言ってみれば退職まで人参を目の前にぶら下げられ続けるのだ。

そうやって過去の積み重ねと将来の希望価値に縛られて、いつの間にか適切な判断が出来なくなってしまう。いわゆるサンクコストにやられるってやつだ。

 

では、このような状況を打破するためにどうすればいいか。

それは一つしかない。捨てる勇気を持つことだ。

ただし、こういってしまうと語弊を招くことがある。「違うと思ったらすぐに捨てれればいいのか!じゃあなんか今の会社合わないからやーめよ!」みたいな感じになってしまう。

あくまでもここで言っている捨てる勇気とは、時間が有限であるためそのもったいないと思うこと以上に大切な他の選択肢を優先するということだ。

例えばバスケを初めて半年経つけどあんまり楽しくないから半年続けたことを気にせずすぐ辞めるとか、上達しないから辞めるとかいうのは話が違う。(それ以外に他のスポーツをやっていてそのスポーツを優先したいからというならいい。)

物事には必ず真理たるものが存在すると僕は思っている。スポーツで言えば本当に面白くなるのは試合に勝てる実力がついてからだ。そこに辿り着きもしないで面白くないとやめてしまうのは違う。もともと活かす才能が違っていたというのならわかるが、上達するための最大限に突き詰めもせずに止めてしまうのは違う。

そんな弱い奴になることを助長するような甘ったるい話ではない。その逆だ。世間一般の常識やこれまで費やしてきた時間に逆らって自分の意思で決めるということが求められる、とてつもなく覚悟がいることなのだ。

 

時間は有限であるからこそ、全ては出来ない。

だから、そんな『もったいない』なんかに縛られないで、ベストだと思うことをやろうよ。

所持金0円の丸腰で京都ー東京をママチャリ使って走ってみた。

進学校を出て、まあ世間一般的には有名な大学に進んで、普通に金融機関に新卒で入社して。そんな僕の周りにはやはり”普通の人”が多い。そういった環境の中では、僕がやってきたことってけっこうクレイジーに思われることが多いんだけど、一番クレイジーなのは何かと聞かれると、間違いなく500kmをママチャリに乗って所持金0円で走り切ったことだろう。

 簡単にその全容について、今日は触れたいと思う。

 

 民家を泊まり歩いてやる

大学4年の夏にヨーロッパをバックパックで回ったことがあって、その時「民泊で現地の人と交流しながら旅をしたい!」という思いがあった。

だけど、言語の壁というハードルを乗り越えることが出来ず成し遂げられなかったことがずっと心残りだったのだ。

いつかリベンジマッチしてやる。

そう思っていた矢先、11月にとある用事で京都に行くことになった。

 ここしかないだろう、そう直感が言っていた。

 

 街と街のあいだを見たい

京都から東京まで民泊しながら帰るというのは、決まった。

じゃあ交通手段はどうしようかなーってことで。当時の僕は観光地を回ることよりも、街と街をつないでいる道を思うままに行きたいように走ることに魅力を感じていた。

街と街のあいだを、地に足つけて。

そう思ったら車はNGで、徒歩で京都ー東京の500kmは遠すぎる。

 じゃあ、自転車に決まりだ。

 

 俺がパイオニア

ヨーロッパのバックパックで僕の感情を乱したのは民泊が出来なかった後悔だけではなかった。それは、自分より数段上のバックパッカーがいること。

 

2年旅をしている、世界中の風景をカメラに収めている。。。

 

 自分よりスケールの大きなことをやっている旅人がうじゃうじゃいて、どこか敗北感を感じていた自分がいた。次なにかやるときは、他の人が追随出来ないことをやろう。ずっとそう思っていた。

その思いが様々な足枷オプションを追加させていく。

 

ロードバイクなんて楽ゲーだからママチャリでしょ」

「お金持ってたら甘えてホテル泊まっちゃうからお金なしでいこう」

「フィーリングで道を決めるんだったら携帯(map)とかいらないよな」

 

こうして出来上がったのが、

お金を一銭も持たない、携帯も持たずに連絡手段を断つ、愛機ブリジストンのママチャリで京都ー東京間500kmの旅をする、だった。

 

波乱万丈の道中

案の定、というか絶対なにかがあるわけで。

旅の始めは道を聞きながら聞きながらで全然前に進まなかったり、

滋賀では民家ピンポンするけど結局お寺に泊めってもらって菩薩像と一緒に寝たり、

愛知では公園で風呂入ったりマジでお店で数時間働かせてもらって賄いもらったり、

静岡ではコンビニ店長の車に泊めてもらったり、ホームレスと一夜を共にしたり、

やっと念願の民泊が叶ったけど道中タイヤがパンクしてタイヤ屋さんの奥さんに小一時間ガチ説教されながら自転車直してもらったり。

箱根越えでブレーキ焼けて本気で死ぬかと思ったり。

 

そんなこんながありながら、

毎朝4:30起床の100km/日で1週間の旅が幕を閉じた。

 

 まとめ

旅の道中で色んな人に関わったわけだけど、中でも熱海で会った老夫婦の言葉が印象的だった。

「このパワーをもっと他のこと注げばいいのに。」

老夫婦からしてみれば全く理解できないことをやっている青年への苦笑のようだったが、なぜか僕は「あ、確かにもの凄いパワーあるな」と自信をもらった。

どこまでポジティブ野郎なんだよって感じですが。

 近いうちに電子書籍化しようと思ってるので、出来上がったら読んでください。笑

不幸な就活はやめよう。ヤリタイことを明確にするための二つのステップ。

六月も終わりに差し掛かり、新卒採用も一通り落ち着きを見せてきた頃ではないだろうか。

僕は、自分が不幸な就活をしてしまった人間の一人だと自覚している。

ヤリタイことがはっきりしないまま大手企業をとりあえず受けていって全滅、地方の金融機関に就職した。うっすらあったコンサル業界への想いを頭の片隅に残しながら、2年間を無為に過ごしてしまった。加えて転職する気満々でさほどやる気もなかったから、企業にとっても迷惑な話だったと今になって思う。

 

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だからこそこれから社会に出ようとしている人達に伝えたい。

その道で本当に自分がヤリタイことが出来るのかを、よく考えてほしいって。

 

そんなこと言っても、働いたことないのにたった何ヶ月で行きたい会社なんてわかるかよっって思うだろう。僕も大学生の時はそう思っていた。でも今になって思うのは、就職活動が始まるまでの間に自分の考えを言語化するための行動が足りてないからそんなことを言うんだ、ということだ。

正直経験則と色んな人の話を聞く限り、自分がどんな風に生きていきたいかなんてたいていは大学が終わるころまでに形作られている。

大抵の就活生はそこの部分が「なんとなくこうだな」っていう感覚レベルか、それすらもわかっていないまま止まってしまっている。つまり、言語化しきれていない。そして、あんまりよくわかんないまま就職活動に突入してしまい、会社に入ってから「あれ?なんか違うな」ってなってくる。あれ、なんか違うなって思い始めてそれからようやく言語化に向かって、ああ本当に俺/私がしたかったことはこれなんだって言うことに気づく。ゆくゆく振り返ってみたら、昔からこうだったんだなって。

 

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じゃあ、どうやったら言語化出来るのか。それは、描くことと知ることを納得いくまで繰り返し続けることだ。

描くということは、自分の本心に向き合うということだ。

何をしている時が楽しいか、何が悔しかったか、成し遂げたいことはなにか、どんな自分になりたいか、いろんな角度から自分の過去・現在・未来についてとにかく書いて書いて書きまくる。

そして描きながらなんとなく"自分"という人間が見えてくる。どんな価値観を大切にしていて、どんな風になりたいのかが。しかしそれだけでは不十分で、知ることを行わなければならない。それは、本当に自分の想いがそれで合っているのか実際に行動して確かめてみたり、触れたことのない価値観や世界に触れてみたりするということだ。AとBを知ってAを選ぶのと、Aだけしか知らないでAを選ぶとのでは、結果としては同じでも質的に全く違うものだと僕は考えている。なぜなら後者では主体性、言い換えれば腹を決めるという行為が欠落しているからだ。

こうやって描くことと知ることを繰り返すうちに、確固たる自分の価値観が出来上がってくる。これでようやく言語化が出来た状態になる。

 

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今や個人の時代になってきた。これは、企業人であれば関係ないというわけではない。企業人であろうが、自営業であろうが、紐になろうが、どうしてその生き方を選んだのかっというところが強く問われてくるからだ。選んだのは自分なんだから責任は自分で取ってねと。

だからこそ、就職する企業一つとってみても、「まあとりあえずどっか受かればいいや」じゃなくて、しっかりと未来を描いてほしいと思う、

彼女と長続きしなかったヤツが分析した『彼女と長続きする方法』を公開する。

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どーも、行動型考察系ブロガーのカズマです。

 

普段は頭ぶっ飛んだことをやりながら冷静に分析を入れて日々を過ごしているのですが、このスタンスは恋愛においても例外ではありません。

最初にぶっちゃけると、周囲からは一般人男性よりかは容姿と女性に恵まれてる方だと言われてます。お世辞でもありがたい限りです。

そんなカズマには女性とお付き合いするうえで非常に大きな悩みがありました。

 

長続きしねえ。

 

確か記憶している限りでは最長4カ月くらいです。

もっと言えば一年間で彼女が4人出来た年もありました。どんだけのペースで別れてんだよって感じです。

まあなんだかんだいってもまだ遊びたい盛りのお年頃。

そんな別れても「まあいっか。」くらいに思ってのらりくらり過ごしていた20代前半に、一つの転機が訪れました。

いわゆる本気で好きになった子が出来たっていうやつです。

最初は何となく付き合い始めましたが、ドンドンその子に惹かれていっているのが自分でも手に取るようにわかりました。

生まれて初めて彼女の好きなものの話が出来るよう、彼女が好きだという映画を見て音楽を聴いて、

だらだら続けていた他の女性たちも全部断ち切って、

この子の傍にずっといたいの一心でお付き合いをしましたが、残念ながらあえなく振られました。

 

それは本当に本当にショックで、これもまた初めて彼女ともう一緒にいれないことに涙しご、飯が喉を通らない日が1週間続きました。

 

「どうしたら長続きできるんだ」

 

その子との短かったけど幸せだった思い出と、その問いだけが頭をずっと占めていました。

そして振られてから2週間。僕はノートとペンを手に取りました。

彼女に対してどんな接し方をしていたか、別れの予兆はどこにあったか、その時の彼女の表情・言動はどうだったか、自分には何が足りなかったのか。

一カ月にわたり彼女とのこと、今までの自分の恋愛について振り返り続けました。

それらに対して自分が与えた解があっているのかを確認するために、ネットをあさり恋愛本をあさり、果てには女友達や結婚まじかの男友達に電話してフィードバックまでもらいました。

その結果、大切な3つの概念と20の秘訣に辿り着きました。

 

3つの概念で捉える

彼女と長続きする、言い換えれば女性と付き合っていく上で気を付けていかないといけないことは3つの概念に分かれることがわかりました。

それは「人としてどうなのか、男としてどうなのか、彼氏としてどうなのか」です。

それぞれ左から順に積みあがっているというイメージです。

そもそも一緒に過ごす時点で人として一緒にいたいか、その次に異性としてちゃんと認識できるか、そして最後に付き合ってから彼氏としての位置づけにふさわしいか、という感じ。

「ん、じゃあ結局どうすればいいの??」と思ったそこのあなた。

言えるのはただ一つ。全部頑張ってください。

だって「付き合ってみたら思った人と違った」っていうのは人としての認識に差異が出てしまい評価が落ちてしまった結果だし、「他に好きな人が出来た」は男としての魅力が第三者に相対して負けてしまった結果だし、「冷めた」って言われてしまうのは彼氏スキルが足りなかった証拠でしょう。

大切なのは、自分がどの分野で落第点を押されてしまったかというのを的確にとらえること、もしくはウィーク分野を認識したうえで落第点を取らない様に気を付けることです。

では、それぞれどんな観点でチェックすればいいか、渾身の20個をまとめてみました。

 

Ⅰ.人としてどうなのか

 長続きするしない以前に、付き合えるかどうかの根底に関わってくる部分ではないかと思ってます。 意識するのは『素晴らしい人間性』よりも『人としてNGがない』ってとこ。

経験則だけど、ある程度のレベルを超えたら付き合えるフィールドに乗ることができ、それ以上のものはプラスα程度にしかならないのかなーというのが本音。

そりゃあ素晴らしい人間性があるに越したことはないと思いますが。

では、さっそく10つ。

 

良識人であること

新幹線で靴脱いで足投げ出してるおじさんとかいるじゃん?

あーいう自分が楽かもしれないけど傍からみたら「えっ」ってなるようなことはしないに限る。

誰にでも親切で礼儀正しいこと

店員さんに横柄な態度をとる人は嫌われるというアレ。お姉さまになるにしたがってこういうポイントは厳しくなるので要注意。

 社会通念上取り組むことに価値があるものに全力で取り組んでいること

仕事がピンときやすいかな。パチンコ全力でやってますって言っても普通は響かない。長続きっていうよりかはモテよりかな。

ただしボランティアなどになってくると尊敬や憧れの感情を好きと履き違えられて、あとからやっぱりそういうのじゃなかったとどんでん返し食らう可能性あり。

思いやりに溢れている

言うまでもなく。ないと人間失格の烙印を押されちゃうよ。

笑顔が絶えない、明るい

暗い人と明るい人、どちらが接しやすいですかって話。

人に対して真摯である

これ難しいけど出来てたらすごくキュンとくるらしい。

否定しない、傷つけない

嫌な思いになるような人とは一緒にいたくないよな。

器が広い

みみっちい奴はカッコ悪いっすよ。

食い気味でない

これけっこう女の子から嫌われるポイントらしいので気をつけて。

エッジが効いている

エッジとは他の人とは違う異質さです。わかりやすい例で言えば、サッカーめちゃくちゃ上手いとか。スキルでも性格でもどっちでもいいと思ってます。持ってる人は十分生かしましょう。

 

男としてどうなのか

 これはナンパ師やモテ本などで紹介されてくる部分だと考えてます。

「一緒にいて楽しいんだけど、手をつなぎたいとかそういうのじゃない」と言われずに、「異性として魅力的」「この人とならエッチしていい」って思ってもらえるためにはどうすればいいのか?以下6点。

 

紳士で優しい

女の子が男に求める第1位。

元カレのどこが好きだったって聞くと「ものすごく優しかったところ」と返ってくるのはテンプレか。

清潔感があり見た目が魅力的である

小奇麗さってものすごく大事。だらしない人は隣歩いてほしくないんだって。

容姿についてはどうにもならないことが多いが、髪型・眉毛で印象は変えられる。スタイルだって筋トレしたりダイエットしたり努力できる部分は絶対にすべき。ちなみに理想はBMI22らしい。

決断力、提案力がある

勝手に決めちゃう男も嫌だけど、何も決めれない男はもっと嫌。by 女友達

選択肢を出してくれるのがベストだって。

女性の扱いに慣れている

ボディタッチ、ほめ方、口説き方。ここが出来るか否かがこのカテゴリーで最大のポイントのような気がする。

堂々としている

生物学的にうんちゃらかんちゃら。

サプライズがうまい

これも超重要。うっとりさせきれるか、いつまでもドキドキさせてあげられるか。

これはどの本にも書いてあることだけど、女の子はみんななんだかんだ言って自分をお姫扱いしてもらいたいもの。

どんな些細なことでも彼女の想像を上回ることを意識するといいと思う。

 

彼氏としてどうなのか

ようやく核心にきました。正直セフレやアヴァンチュールであれば、『男としてどうなのか』の部分がずば抜けて秀でていれば全く問題ないのだろうけれども、今回は今の彼女と長く一緒にいたいという願いを叶えるためのチェックポイントです。彼女の年齢によって少し話が違ってくる部分もあるけど、共通して言える大切な彼氏スキル4点です。

 

彼女を不安な気持ちにさせていない

「本当に私の事好きなの?!」とか「浮気してるかも・・・」とか言わせたり思わせたりしないように出来たら完璧じゃないのかな。

向こうが優位に立ってる場合はその心配はないのだろうけど、反対にこちらが優位に立っている場合は言動には細心の注意を払うに限る。

相手の感情の高ぶりに合わせて自分の愛情を表現する。恋愛において自分が支えるほうになるのは面倒だし疲れるかもしれないけど、相手が幸せそうな顔してたらそんなどうってことないでしょ。

あと、ちゃんと大好きだよって言ってあげましょう。

彼女の価値観を受け入れている、応援している

いわゆるパートナーってやつかな。

社会的ステータスがある

言わずもがな。現実って十分シビアだと思う。

ギャンブル、たばこ、酒に溺れていない

別れた後に必ずクズ呼ばわりされているから気をつけて。

 

まとめ

ざーっと20個あげてみましたが、これが全部できないと彼女と付き合えないっていうわけでは絶対にないとも思ってます。どこかが足りなくてもそれを補うほどのほかの魅力があれば問題ないし、実際問題こんな完璧彼氏さんはそうそういないでしょっていうのが本音の部分。

ただし、全てにおいて『元カレvs自分、彼女vs自分』の相対的評価で自分がどのレベルまで到達しているかは常に意識していないといけない。

まあ、

色んな女の子と遊ぶのもいいと思うけど、一人と関係を大切に築き上げていくっていうのも楽しいと思うから、運命の人に出会ったときにちゃんと長続きできるよう備えとこうってことで。

『コミュ力高い』人の特徴って?-ちゃんと理解しておきたいコミュニケーションの2つのタイプとは。

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「コミュ力」という言葉が頻繁に使われだしたのは、大学生に入ってからだろうか。

僕が大学の時に流行が来たっていう意味じゃなくて、ライフステージが大学に入った時から意識されだしたっていう意味だ。 

これには理由が2つあると思っている。

1つは大学になるまで自分から率先して色々な人と仲良くする能力が求められないことだ。

高校まではクラスが強制的に決まっていて、元気な奴、面白い奴、部活出来るやつが自然とクラスの中心になっていたから、みんなそんなにコミュ力について意識することがなかったんだろうなあと思う。

それが大学になると、サークルやバイトといった様々なコミュニティに関わりだし、ましてやその規模もこれまでとは比にならないくらいとなってくると、そういった環境で目立ってくる人に目がいきだし、「あの人すぐいろんな人と仲良くなれてる」みたいな感じでコミュ力高いなー、いいなーっていう思いが生まれてくるわけで。

つまり、なんらかの形で自分を主張していかないと埋もれてしまったり友ができなかったりする環境になるにつれて、コミュ力という面に意識が集中するようになるってことだ。

それに、そういった人が優れている、というような暗黙の了解や憧れといったものも助長させる一つの要因になっている。

 

もう1つは何と言っても就活だろう。

コミュニケーション能力があればなんとかなるって言われているくらい、就活でのコミュ力神話は根強い。

自分の人生がかかった大一番で、コミュ力が最も重要な能力だとはやし立てられているものであるならば、否が応でも意識がいくのは無理もない話だ。

 

こんな感じで大学生から社会人を中心に関心を集めている”コミュ力の高さ”、実は2通りのタイプがあるんだと最近になって気が付いた。

それは、対集団や初対面の時にも臆せず積極的に関わっていけるタイプと、相手との共感・協調を尊び人間関係を円滑に進めることが出来るタイプのことだ

言い換えれば、一方的なコミュニケーションスタイルと相互的なコミュニケーションスタイル、といったところだろうか。

 

よく大学生の間でコミュ力高いと羨ましがられるのが前者で、実際社会に出てから必要になってくるのは後者のタイプのコミュ力の高さだ。

では、それぞれどんな特徴があるのだろうか。

 

一方的なスタイルの特徴

初対面の人とでも気軽に話せていて、人当たりも良さそうに見えるこのタイプ。

シャイな人からしてみれば、とても羨ましいコミュ力の高さなのだろう。このタイプの人の特徴は、コミュニケーションが個性と常識破りで成り立っているということだ。

個性っていうのは、皆と違った独特なオーラを持ってたり、元気が良かったりといった、何かしら集団内で突出するエッジの効いた部分を持っているってこと。やはりこういうもの持っている人間の方が、周囲からの注目を浴びやすい。

 

次に常識破りっていうのは、世間一般的にみんなが持っているコミュニケーションの常識を無視して距離を一気に縮めきれるっていう意味。

乱暴な例だけど、「あっ、どうも・・・、初めまして。照」で始まる部分を、「うっす!よっろしくー!!」みたいな感じでいきなり慣れ慣れしく出来るかどうかみたいな。

普通初対面だったらお互い探り探り会話していくところを、一気に相手を自分のペースに巻き込むことが出来る人のことだ。

 

一見するとものすごく羨ましいこのタイプ、実はいいとこばかりじゃなくて、タイマンで話してみたら話が面白くなかったり、どことなく一緒にいてやりづらい部分があったりすることがある

それは、集団の時は我を思いっきり出すことで成り立っていたコミュニケーションが、タイマンになった時に機能しなくなるからだろうと考えている。 

どういうことか。

前述した通り、このタイプの人間はあい何かしら人と違った部分を出すことで集団内で注目を浴び、自分のペースに無理やり引き込むことが出来る。

だが、その分一人一人に対して細かい気配りをするってことに慣れてなかったりする

それが一対一になって自分を押し出せなくなった時に顕在化して、「あれ?なんかこの人居心地悪いな」という印象を与えてしまう。

 

つまり、対集団には強くて差しの関係には弱い、これが一方的コミュニケーション能力の高さの特徴だろう。

 

相互的なスタイルの特徴

このタイプの根底にあるのは、人間関係を円滑にしたいという価値観だ。

だからこのタイプのコミュニケーション能力の高さとは、相手のことを察する、気遣うといったことに長けていることを指す。

相手のことを察する、気遣えるということは、往々にして"良い人"という評価をくだされるということだ。従って前者の一方的なスタイルよりも、地味ではあるが信頼はしっかりと生まれやすい。出回っている言葉で表現し直すなら”人間力”、といったところだろうか。

よく就活でコミュ力の高い奴が内定をもらうって言われているコミュ力の高さとはこっちのことだ。面接では組織内でうまく立ち回れるか、一緒に仕事をしたいと思われるかっていうところが見られているんだから、相手を意識したコミュニケーション能力の高さが評価されるのは当然な話だろう。

ということは、ビジネス界で社会人として求めらてくるのは相互的コミュ力の高さだということも自ずとわかってくるだろう。

 この相互的コミュニケーションスタイルについては、数多くの本が出されている。

 

ピープル・スキル 人と“うまくやる”3つの技術

ピープル・スキル 人と“うまくやる”3つの技術

 

 

参考までに、これはコミュニケーション本の名著と言われている一冊だ。

こういった本がベストセラーになるということも、この相互的コミュニケーションスタイルが対人関係においても非常に重要視されているということが見て取れる。

 

まとめ

こんな感じで、一概にコミュ力が高いって言ってもタイプに違いがある。

ただ、どっちのスタイルが良い悪いというわけじゃなくて、どういった場面にいるのかで向き不向きがあるんだと思っている。

そりゃパーティー会場だったら目立った方が楽しいだろうし、職場内だったら相互的なコミュニケーションの方が圧倒的に大切になってくる。

両方備えているに越したことはないんだろうけど、まずは自分が憧れるコミュ力の高さがどっちのタイプなのかをしっかりイメージしたうえで、コミュ力を高めていくといいと思っている、今日この頃だ。