日本一の速さと美しさを決める、"ふんどし脱ぎ方コンテスト"に参加してきた。
ーふんどし。
それは日本の文化を代表する伝統的な下着だ。近年健康の観点から注目を浴びだしているという。
そんなふんどしを速く美しく脱ぐ日本一を決めるという"ふんどし脱ぎ方コンテスト"が、伝統とは正反対の若者文化の発信の地である渋谷で開催されるという噂を聞きつけた。その粋な計らいに早くも心を打たれてしまっていた。
だが、ふんどし脱ぎ方コンテストとはなんだ?
そんな疑問を解決するために、ふんどし脱ぎ方コンテストで日本一を目指す選手達、ふんどしニストの間で「キング・オブ・ふんどし」と伝説の称号で崇められている「ふんどしやさしいマン」が紹介動画を作成しているようなので、ご覧いただきたい。
というか、一分程度なので必ず目を通してほしい。
ふんどしの上手な脱ぎ方 How to put off Fundoshi-Japanese traditional underwear
美しすぎる。
これは是非とも日本一の称号をわが手に収めたい。そう思い、出場を決意した。
試合は日曜日の夜8時からだった。観客席を見渡すと50人程度はいる。
日曜日の夜にまだまだマーケットとしてはニッチなふんどしの分野でこれほどまでの人数が集まったことは、これからのこの競技のとてつもない可能性を示唆している。
そして、今回の決勝大会に集ったふんどしニストは9名。加えてふんどしやさしいマンで計10名だ。
ルールはAブロックBブロックCブロック各三名のトーナメントから、各ブロック代表者の三名で決勝大会を行い、そこで勝利したものがふんどしやさしいマンに挑戦権を得るというものだ。
審査員はこの場でその名を出すのが憚られるくらいの、超絶スーパー社会人の方々3名だった。
試合が始まり、僕はCブロックでの参加だった。
Aブロック、Bブロックと、ふんどしニストのみんなが各々修練して作り上げた技を披露していく。そのレベルの高さに、ここで勝ち上がるためにはふんどしやさしいマンの「さよならも言わずに」を超える大技を使うしかないと確信していた。
その技は、明鏡止水。この技を完成させるため、10年間書道に取組み自分や相手の心までも映し出す芸術の極みを体得し、14年間剣道での厳しい修練を通じ無心の境地に達し、そして京都での瞑想を経て完全体に昇華させた。言葉通り人生の全てを注ぎ込んだ大技だ。
ただ、未だに成功率は5割程度だった。加えて肉体美からなる芸術点を挙げるためにここ一か月で5kgの増量を行っていたため、コンディションも良くない。
勝利をもぎ取るため、一か八かの賭けにでたが、まさかの技のフィニッシュ手前でふんどしを脱ぎ損ねるという失敗をおかしてしまった。
判定は、福島からの刺客であるふんどしニストの「福島のコメはうまいって」に2票、失敗しながらの明鏡止水に1票頂きの完敗だった。
最終的にふんどしやさしいマンへの挑戦権を得たのがこの福島からの刺客だった。決勝戦では「行きつけの居酒屋」という脱いだふんどしをものボケに使うという新たな発想で観衆の心を鷲掴みにし、「波動拳」にてふんどしやさしいマンの「昇竜拳」と互角の戦いでドローに持ち込み、最後には「いつもありがとう」という友への感謝を表現したなんとも心が洗われるような美しい技を披露し、勝利を勝ち取った。
最強の挑戦者を迎え撃つために新技を披露するふんどしやさしいマン
この大会は年に一度しか行われていない。
興味をもたれた方は、ふんどし買って、あと一年、技を磨いて会場で会いましょう。
※コンテスト主催者:褌部
所持金0円の丸腰で京都ー東京をママチャリ使って走ってみた。
進学校を出て、まあ世間一般的には有名な大学に進んで、普通に金融機関に新卒で入社して。そんな僕の周りにはやはり”普通の人”が多い。そういった環境の中では、僕がやってきたことってけっこうクレイジーに思われることが多いんだけど、一番クレイジーなのは何かと聞かれると、間違いなく500kmをママチャリに乗って所持金0円で走り切ったことだろう。
簡単にその全容について、今日は触れたいと思う。
民家を泊まり歩いてやる
大学4年の夏にヨーロッパをバックパックで回ったことがあって、その時「民泊で現地の人と交流しながら旅をしたい!」という思いがあった。
だけど、言語の壁というハードルを乗り越えることが出来ず成し遂げられなかったことがずっと心残りだったのだ。
いつかリベンジマッチしてやる。
そう思っていた矢先、11月にとある用事で京都に行くことになった。
ここしかないだろう、そう直感が言っていた。
街と街のあいだを見たい
京都から東京まで民泊しながら帰るというのは、決まった。
じゃあ交通手段はどうしようかなーってことで。当時の僕は観光地を回ることよりも、街と街をつないでいる道を思うままに行きたいように走ることに魅力を感じていた。
街と街のあいだを、地に足つけて。
そう思ったら車はNGで、徒歩で京都ー東京の500kmは遠すぎる。
じゃあ、自転車に決まりだ。
俺がパイオニアだ
ヨーロッパのバックパックで僕の感情を乱したのは民泊が出来なかった後悔だけではなかった。それは、自分より数段上のバックパッカーがいること。
2年旅をしている、世界中の風景をカメラに収めている。。。
自分よりスケールの大きなことをやっている旅人がうじゃうじゃいて、どこか敗北感を感じていた自分がいた。次なにかやるときは、他の人が追随出来ないことをやろう。ずっとそう思っていた。
その思いが様々な足枷オプションを追加させていく。
「ロードバイクなんて楽ゲーだからママチャリでしょ」
「お金持ってたら甘えてホテル泊まっちゃうからお金なしでいこう」
「フィーリングで道を決めるんだったら携帯(map)とかいらないよな」
こうして出来上がったのが、
お金を一銭も持たない、携帯も持たずに連絡手段を断つ、愛機ブリジストンのママチャリで京都ー東京間500kmの旅をする、だった。
波乱万丈の道中
案の定、というか絶対なにかがあるわけで。
旅の始めは道を聞きながら聞きながらで全然前に進まなかったり、
滋賀では民家ピンポンするけど結局お寺に泊めってもらって菩薩像と一緒に寝たり、
愛知では公園で風呂入ったりマジでお店で数時間働かせてもらって賄いもらったり、
静岡ではコンビニ店長の車に泊めてもらったり、ホームレスと一夜を共にしたり、
やっと念願の民泊が叶ったけど道中タイヤがパンクしてタイヤ屋さんの奥さんに小一時間ガチ説教されながら自転車直してもらったり。
箱根越えでブレーキ焼けて本気で死ぬかと思ったり。
そんなこんながありながら、
毎朝4:30起床の100km/日で1週間の旅が幕を閉じた。
まとめ
旅の道中で色んな人に関わったわけだけど、中でも熱海で会った老夫婦の言葉が印象的だった。
「このパワーをもっと他のこと注げばいいのに。」
老夫婦からしてみれば全く理解できないことをやっている青年への苦笑のようだったが、なぜか僕は「あ、確かにもの凄いパワーあるな」と自信をもらった。
どこまでポジティブ野郎なんだよって感じですが。
近いうちに電子書籍化しようと思ってるので、出来上がったら読んでください。笑
Airbnb使って一週間ニューヨークに行ってきた。
昨年の秋に一週間くらいニューヨークに行った。
ちなみに社会人になってから初海外旅行&人生初NYだった。NYに行ったのはテイラースウィフトの影響。Welcom to NewYorkっていう曲があって、これひたすらNYへようこそって歌ってるような曲なんだけど、全世界でヒットになってしまう街ってどういう街なのか肌で感じたくなったっていう、いつも通りの感じで。
それはそうと、僕は海外行った時にまだ一度もちゃんとホテルに泊まったことがない。ホステルのドミトリー、カウチサーフィンで現地の人の家、駅や住宅街で野宿、もはやアパート借りる等に慣れていたため、なぜかホテルに泊まるのが怖くなってるんですよね。なんか海外のホテルのシステムよくわからないし。ホテル代以外に色々お金かかってくるっぽいところとか。ちなみに僕に旅行会社のパックという選択肢はありません。全部自分で手配したい派です。
で、ホテルに泊まるのは怖いから却下、この歳になって野宿とドミトリーは疲れるから却下、カウチサーフィンも時間かかるから却下、あれ、泊まるとこなくね?ってなってた。そんな時、偉大なる旅人の友人から「Airbnb使えばよくね?」とのアドバイスがあって、それだ!ってことで巷で噂のAirbnbを利用したので、実際どんな感じだったか、これから利用を検討している人、もしくはちょっとでも興味のある人の参考になればと思う。
Airbnbって何?
宿泊施設・民宿を貸し出す人向けのWebサイトだ。ウィキペディアによると世界192か国の33,000の都市で80万以上の宿を提供しているらしい。
ざっくり言うと、部屋余ってるから誰か泊まりにおいでよ、ホテルより安いからさって人がホスト登録していて、泊めてもらいたい旅行者が泊めてーってメッセージを送って日程が合えば泊まれるってシステムだ。
一週間のリアル
多分宿探すのに2週間弱はかかった気がする。条件によるとは思うんだけど、僕は滞在中移動するのが嫌でフル泊まりしたいっていう希望を出していて、そのうちの数日いないとかで結構はじかれました。
で、結局決まったのがフライトの12時間前。職場の食堂で歓喜の雄たけびを上げてしまったことを今でも覚えてます。これが決まらなかったら野宿だったからねー。
金額的には普通にホテルに泊まるときの5分の1くらいに収まったと思う。
ホストによると思うんだけど、僕のホストは多分60歳付近の女性で英語だけだったのでやり取りは基本英語だった。サイトで電話番号教えてSMSでやり取りって感じ。時差が14時間あるから中々スムーズにいかなかったけど。
僕的にメチャクチャ当たりのホストでした。
何から何まで面倒見てくれた。グランマー!って感じ。笑
おすすめの遊び場とか、交通手段とか、帰るときとか空港までのバスの手配までしてくれたし。そんで外でご飯食べない時はご飯つくってくれた。これは嬉しい誤算で食費が抑えられるし、なによりもNY一般家庭のスタイルを味わえるっていう。あ、ちゃんと手見上げも持っていきましたよ。
あと立地がめちゃくちゃ良くて、これは本当にやばかった。ヘルズキッチンっていうマンハッタンの西側だったんだけど、部屋が23階で向かいのニュージャージーの夜景がこれまた綺麗に見えること。ホテルだったら無理だろうなあって思った。
ただ不便に感じたことが一点だけあって、それはホストとの在宅時間を合わせないといけないということ。僕のホストは何時に帰ってくるか連絡してくれたら何時に帰ってきてもいいよ、クラブでも行ってきなさい的なノリだったんでよかったんですが、まあやり取りが面倒くさいのと好きな時に家に帰るっていう自由度が低かったのがちょっとなって感じでしたね。
まとめ
楽しいですよ、普通に。笑
どうしても対人だから定性的な部分が大きくて一概に評価は出来ないけど、泊めてもらってる間に現地の暮らしが体験できるし、普通にホテル泊まるより俄然安いし、なにおより簡単に現地の友達が一人出来て心強いっていうのが大きいと思う。
あとはありきたりなんだけど、トラブルには気を付けてねってとこですかね。特に女性の方々。
興味があれば是非一度利用してみてはいかがでしょうか。
「向き合うススメ」ーやりたいことやってみたら、自由になった。ー
一般的に見て僕はフットワークの軽いほうで、やりたいなーって思ったことに比較的容易にチャレンジする方だ。だからパリに一か月住みに行ってみたり、ママチャリで京都ー東京の500kmを旅してみたり、浅草でオリジナルのポストカード売ってみたり、社会人なってからホストで働いてみたりとしているわけだ。自身でもこれは強みの一つだと認識してるんだけど、生まれた頃からこんな感じだったわけではなくって、やはりきっかけみたいなものがあって、今日はそれについてつらつら書きたいと思う。
ヤリタイことに向き合え
あれはちょうど就職活動が一段落した大学4年生の6月。
内定先が決まり、これから残りの大学生活どうしようかって考えている時にある先輩とご飯に行く機会があった。
「就活終わってお世話になったOBの人たちから学生時代にしか出来ないことをやっといた方がいいよってすごく言われるんですけど、全くイメージ湧いてこないんですよね。」
「俺はとにかく自分がやりたいと思ったこと全部書き出してやってたけどなあ。まあそのOBの人たちが言ってるのは、長期間の時間を要することをやっとけってことだろうけどな。」
そんなふとした会話だったと思う。
そっかーっと思った僕はひとまずA4のコピー用紙に向かって自分がやりたいことを書き出してみることにした。
・・・。
・・・。(1時間経過)
・・・。(1日経過)
何もでてこない。
そんなこんなで2、3日ぐらいはうーんって言っていた。そんなある日、ふと1つの想いが頭をかすめた。
あっ、ヨーロッパ行きたい。
不思議なことではなかった。高校生の時にイギリスにホームスティに行って、また行きたいって強く思っていたし、反対にそんなヤツが大学生活で一回も海外に行ってない方が不思議なくらいだった。
ああ、これだ。
その時なぜだかピタッと当てはまるような確信を感じていた。
無謀だと思うよ
とにかく出来るだけ長く、ヨーロッパを回ってみたい。ちょうどその時「深夜特急」*1との出会いもあって、バックパックで周遊してみようと考えるようになっていた。
就活でお世話になった方のもとに挨拶に行った時、残りの大学生活はどうするの?って話になった。「ヨーロッパをバックパックで1カ月半ほど回ろうと思ってます。」そういった僕に彼は驚いてこういった。
「えっ、今までそんなことしたことなかったよね?急すぎないか。せめてまずは東南アジアとか近場で2週間程度やってみてからの方がよくないか?」
たしかに今思えば物事には順序ってものがあるし、その人の言うことが一理あると思う。言い方を変えれば、普通じゃないんだ。だけど、当時の僕は失敗とか上手くいくとかお構いなしに、ただ今まででは考えられないことをやろうとしていることにワクワクしていた。
一カ月半のヨーロッパ周遊を振り返って
ヨーロッパに行こうと決めたものの中々踏み切れずにいて、最終的には航空券を見比べてる時に傍で見かねた友達が、「もー早く決めろよ、この航空券でいいじゃん。ぽちっとな。」って購入のボタン押して決まった。
そんな感じで僕は7月末に日本を飛び立ち、一カ月半かけてイギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア、スペイン、フランスの計8ヶ国を回った。
今振り返ってみると、覚えている景色っていったらピーターラビットが生まれた町の田園風景とアルハンブラ宮殿から見た月くらいで、正直記憶にほとんど残っていない。(今では写真もPC壊れて全部なくなったんで、ホントに記憶のたどりようがない。)
そんなことよりも、「やってみたいことを本当にやったんだ」っていう経験が、無意識ながらちょっとずつ自分の感性に向き合うスタンスを作るきっかけになったってことが大きかったと思う。
これ行ってなかったら多分この後に起こす色んなことは起こってないし、そもそも今ブログも書いてないってマジで思えるくらいです。この経験があるからこそ、今のフットワークの軽さ、常識を打ち破る行動力が身についたんだと思っている。
是非一度、「今のままでいいのかなあ」といった不安やモヤモヤを抱えている人は、お金も世間体も常識も全部無視して何がやってみたいか考えてみてほしいと思う。ロールモデルがなくなり、個々の選択に人生の幸福が任される時代の今だからこそ、自分なりに生きるって大切なことだと思うから。
京都の山寺でヴィパッサナー瞑想を体験してきたら、些細なことに揺さぶられなくなった。
大学時代、ヴィパッサナー瞑想というものに行ってきた。
2,3年前に結構取り上げられてたから知っている人もいるだろうが、日本で有名なのは京都で、山奥の修行所にこもって10日間ひたすら瞑想し続けるといったものだ。
僕が初めてヴィパッサナー瞑想に出会ったのはヨーロッパを旅しているときだった。
ウィーンで出会った日本人男性から、「10日間誰とも話さず目すら合わしてはいけない面白い瞑想がある」と聞いて、それ以来ずっと頭の片隅に合った。
僕は京都が好きで、大学の途中から年に一回は必ず京都に行くようにしているのだが、10月の紅葉シーズンにはいってそろそろ行くかって思った矢先、その瞑想のことを思い出した。面白そうだし精神修行も兼ねてちょっと行ってくるか、そんな感じで僕は参加することにした。
来ていたメンツは60人ほどで、ざっくり分けると3パターンだった。
僕みたいになんだか面白そうだからっていう大学生と、インドに行ってヨガの感銘を受けた女性陣、同じく中国座禅極めてますといったガチ勢、あとは精神的部分の何かを求めてやってきた経営者、といった感じだ。あと外人もチラホラいた。
この修行の参加費は無料で、運営は寄付とヴィパッサナー体験者のボランティアで成り立っている。
気になる一日のスケジュールは、朝4時に起きていきなり瞑想して休憩や食事を挟みながらひたすら瞑想をし続け、夜の7時くらいからテープに録音された説話を聞いて9:30くらいに寝る。このスケジュールだと累計11時間程の瞑想を1日でやることになる。瞑想中にはこれまた録音テープが流れてその指示に従いながら瞑想を行う。ちなみに食事は朝と昼のみで肉はなし。お風呂は外に建てられているシャワーを使うのだが、僕は11月に行ったのでマジで寒かった。あと本当に山奥なので星が綺麗。
やってみてどうだったかというと、まあ3日で十分じゃないかなと思った。
そもそもの理論としては、「人が辛いのは欲を求め抗うからだ、あるがままを受け入れて今ココにある自分を肯定できれば苦しみの連鎖から解き放たれる、それをこの瞑想を通じて肉体レベルで叩き込め」ってことだと理解している。
極めたいって思っている人じゃなければ、趣旨を理解するのと瞑想のやり方を知るので3日あればいいのではと感じた。残りの日々はひたすらに足が痛かった記憶しかない。実際に参加者の数名は足が痛すぎてリタイアしていた。
やってビビったこともある。それは精神的作用が起こったことだ。
この瞑想の流れとしては、「まずは今までの欲や辛苦の連鎖を吐き出して0の状態にする→そしてあるがままを受け入れる循環を作り辛苦の火が再び燃え上がってこないよう保つ」といったものだ。
ちょうどそのときの僕は、人生で一番好きだった人を自分の失態で傷つけて、振られて、ずーっとその人のことが頭から離れなくて悶々とした状態だった。
その人のことを忘れたいとかそういう気持ちで臨んでなかったんだけど、何日目かで一気に内側から感情がこみあげてきてガチ泣きしました。それ以降彼女のことに関してはめちゃくちゃスッキリしてる。これは本当にすげーって思った。
そしてなぜか瞑想中はエロい妄想が頭を占めることが多かったです。(本当は瞑想中に物事考えちゃいけません。体に生じている変化をただ俯瞰し感じ続けることが求められる。)しかも一日中瞑想しかやってないわけだから、妄想もなぜか研ぎ澄まされていてスペシャル級にエロい。今となっては性欲が増したのも、一度欲を吐き出している過程の一つだったのではないかと思ってます。
あとは副次的だけど、コミュニケーションの大切さを実感したのは面白い発見だったと思う。
10日間見ず知らずの人達と話すのは愚か目も合わさないで一つ屋根の下で過ごしていると、基本的に相手の印象がめちゃくちゃ最悪になる。だけど一旦口を開いてみれば「なんだこの人、めっちゃ嫌な感じの人だな」って感じてたのが噓みたいに「めっちゃいい人じゃんか」ってなった。目を合わす、挨拶をするっていうごく当たり前のことがないだけで、印象ってこれほどまでに変わるものなのかと衝撃を受けたのを今でも覚えてます。
この瞑想は、日常生活にかなり有意義に取り入れることが出来ると僕は思っている。色々あったときは実際に瞑想して心をフラットにしたり物事をより客観的に捉えたり出来るし、集中したいときは10日間ひたすら瞑想していた時の研ぎ澄まされた感覚を思い出して集中力を格段に高めることが出来る。こう、外にダダ漏れになってるエネルギーがスッと体の内側にとどまる感じです。(伝わらないか。笑)
実際この修行に行く前と行った後では、メンタルコントロールが容易になったというか、些細なことで動じなくなりました。あーだりいこと起こってんなー、うん(嫌だとかいう感情はない)、みたいな。一回一回嫌なことに反応せずに、より建設的に問題解決思考に持ってけるようになった言えばいいのかもしれない。
瞑想ブームのこのご時世、時間が取れれば行ってみると面白いかもしれないです。
申し込みはこちらから。
カウチサーフィンしたら全裸になった。
パリ生活19日目
最近暖かくなってこれは春の訪れかと思っていたが、今日はいきなり暑くなった。
小学校の時に「春は変な人がたくさん出てくるから気をつけなさい」と口をすっぱくして先生が言っていたが、決して暖かくなったから全裸になったわけではない。
ニコの家を離れ新たなホストの家へ。
26歳以下は土日だけメトロの割引券があるから凄く助かる。
辿り着いたのはボンディというこれまた日本で言うところの埼玉みたいな街。
カウチサーフィンのプロフィール上で「裸絶対です」って書いていたホストだ。
いや裸絶対ってなんやねん。まあ日本は銭湯の文化があるし、加えてそこそこのことでは動じなくなってきたので、「別に気にしないから大丈夫」と答えていた。
正直わけわからんことを要求されたホステルにいけばいいぐらいで考えていた。
まあ、もし同居人に女の子がいたらという下心があったかなかったかといえば、なかったわけではない。
14:00にホストのマルコが迎えに来てくれ、彼の家へ。
あれ?脱いでない。え、脱がないの?
「ラッキー、楽勝やこれ」と心の中で思いつつ、展示会にいくから一緒についていかないかと言われ、当然ついていく。
しかし昨日の疲れが。。。約2時間の爆睡ドライブをしただけだった。
そして再びマルコの家へ。
人間とは欲深いもので、あれほど人と話したいと思っていたのに、毎日のように人と話し出すと好きな人だけ話したい、一人の時間が欲しいと思うようになる。
しかし僕にはずっと1つの緊張がつきまとう。
いつ脱ぐんやろうなー、いつかなー、脱がないんかなー。
彼はなぜかずっとヌーディニアンの美学を語っている。
あーそっかあ、この人そういう人なんだってなぜか一人で裸絶対の理由を納得。
なんのバリアも無いほうが、オープンにうち溶け合えるだろ?とか。
僕はいつも人と距離を縮めていたいからヌーディニアンとなったんだ、とか。
その熱い語りに結構納得してしまわなくも無かった。
てか泊まってるの僕だけかい、ショック。
そのときは、不意に来た。
ディナーの準備が整ったとき、
「カズマ、これから君のヌーディニアンとしてのファーストステップだ。」
と、彼は聖職者の如く僕に優しく声をかけた。いつ誰がヌーディニアンになるって言ったんですかおーい。
まあ仕方ないから脱ぐ。
えーと。
僕は破廉恥なことが一番嫌いなのだが、それ以上になぜアラフォーのおっさんの裸を見ながらご飯を食べないといけないんだ。
しかも裸に蝶ネクタイ。
客観的に考えて、ただの変態じゃないか。
ていうかなんだこのエロティックな照明とムーディな音楽は。
多分気を遣ってワインたくさん飲ませてくれてるんだろうけど、なんか怖いじゃないか。
あと4日しかいないのに何が悲しくて僕はこんなことをしてるんだ。
明日からはホステルに戻ろう、そう心に固く誓った。
私のお家、パリシェモア
パリ生活2日目
午前10時、僕は人生で滅多にない「告られる」イベントを無駄に消費してしまったホステルを後にして5区に向かった。
出だしから後味悪いぜコノヤローバカヤロー笑
それでも気分は晴れやかだ。
何を隠そう、今日からパリでのアパート生活が始まる。
立地はノートルダム大聖堂まで徒歩1分、周囲にはスーパーも飲食店も数多く揃っている。
引渡しの予定時間より早く着いた為、僕はノートルダム大聖堂を見学することにした。
すごーい。きれーい。でかーい。
今なら観光で出来る旅人のさしすせそ的なの作れそうな気がする。
中に入ろうとするが、スーツケースがあるので教会内に入れない。
仕方がないので、傍のベンチで昼食を取りながら待つことに。
観光地にくれば観光客が多いなあ。
そんな当たり前のことを考えながら、思い思いに写真を撮っている観光客をぼーっと眺める。
僕はと言うと、大事な昼飯であるパンをちぎって鳩たちに餌付けし続けていた。
何人かに写真撮られていたようだけど、気にしない。
シュール極まりないwww
予定時間になりアパートに向かった。
今回のアパルトマンはパリシェモア(パリの私の家と言う意味らしい)という会社経由で見つけた。家具や光熱費が含まれていて、敷金もかからず日本人スタッフもいる。
パリ・アパルトマン滞在|日仏文化協会 パリシェモア PARIS CHEZ MOI
えっ、でか。
てか、すご。
写ってないけどダブルベットだからね。
これ一人で使うのもったいなくね、マジでってレベル。
期待以上でテンションが上がった僕は、なぜか優雅さを楽しもうと部屋でゴロゴロしてしまった。
このままじゃひきこもりになってしまう!と16:00くらいにリュクサンブール公園に向かうも、人がおらずあえなく退散。
一旦部屋に戻った後は、ノートルダム大聖堂を見に行ったり、アパートの周辺を探索。
近くのスーパーで夕食の買い物を済ませ、記念すべき自炊一食目はカルボナーラ。
日本とは違いチーズが気持ち安い気がするなー。60gのパルミザンが180円ほどである。
これが大学4年間の自炊で培った実力じゃい!!!
「いただきまーす」
・・・あれ?まずい。
レシピは一緒のはずなのに、なんでえ。
もしやと思い、使った材料(パルミザンやこしょう、塩など)をあらかた舐めてみた。
味が全然違うやないかーい。
当たり前と言えば当たり前だが、これは苦戦しそうな予感がする。
なにはともあれ、これからがパリ生活本番だ。