漫画の名言から学ぶ!ー才能とは、センスとはー
男なら誰しも必ず一度は通る道、少年ジャンプ。
”友情、努力、勝利”の三原則を貫き続けるこの週刊誌は、現代に至るまで数々の名作を世に送り出してきた。
ドラゴンボール、ワンピース。
世界的にも大ヒットを叩き出す王道といえば、冒険ストーリーだった。
しかし、最近はファンタジーや冒険ものより、スポーツ漫画が少年ジャンプを支えるようになってきた気がする。
名実ともに少年ジャンプの代表作となった本作からもわかるように、努力と勝利に青春が混ざり合う熱いストーリーに読者は心を打たれるのだろう。
そんな時流の中、僕が今最も熱いと思っている漫画は『ハイキュー!!』だ。
かつて強豪と言われた時代、”小さな巨人”の活躍に導かれ全国の舞台に立った烏野高校バレー部。
”落ちた強豪、飛べないカラス”と言われるようになっても、彼の姿に憧れた少年たちは、全国の舞台で闘うことを夢見て集う。
とんでも主人公コンビを中心に、それぞれのキャラクターがこれまでの自分を超えていく高校バレー漫画なんだけど、まあこれが楽しいんだよ。
前述のとおり主人公以外のキャラにもスポットが当てられていて、色々な性格・価値観を持つ登場人物が勝負事を通じて成長していくから、みんなかなり魅力的なんだけど、その中でも特段人気のあるキャラがいる。
名前は及川徹。
烏野高校バレー部の県下最強のライバルとして描かれる青葉城西高校のキャプテンだ。
彼は幼少期から抜群の活躍を見せるが、全国5本指に入る他校のスパイカーに県大会優勝を阻まれ続け、中学時代に後輩として入った天才主人公の迫りくる才能に圧し潰されそうになる。
そんな環境の中で、ある日自分の能力に自分で限界をひいてしまう。
それに対して、コーチはこう諭す。
「ホントにもう限界といえるのかね。」
それ以来、彼の胸にはずっとある想いがあった。
才能は開花させるもの。センスは磨くもの。
それが数々のスーパープレーを生み出し、抜群の天性をもつ主人公からも「敵わない」と言わしめるほどの実力に至った。
さて。
あなたはこの言葉に何を感じるだろうか。
かつての僕なら、これに対してなんら共感を持たなかった。
おそらく、こういうだろう。
「才能は特別なもの。センスは光らすもの。」って。
だけど、その価値観に社会人になってから変化が現れた。
センスと言われるものが、幼少期から絶えず磨き続けて来たものだったと気付いた。
社会にでると、持ち前のスキルを評価されることが増える。
コミュニケーション、プレゼン、ルーティンワークの速さ、色々ある。
僕はその中でも日本語能力がずば抜けて高いと評価をしてもらうことが多かった。
文章力や、表現力じゃない。日本語としてよどみなく文章が頭に入ってくる、そんなタイプらしい。
それがあってか、ドキュメントものの課題となると、「センスがある」と言われることが多くなった。
だけど、僕かしてみたらこれにはセンス云々じゃなくて納得できる理由があった。
さかのぼると中学2年の秋。
ひょんなことで学校の代表として市の弁論大会に出ることになった。それから一か月、国語の先生とマンツーでひたすら文字との向き合いが始まった。
やっていて嫌じゃなかった。
7分という限られた時間の中にどれだけの情報を叩き込むか、そのためにどれだけコンパクトな文章を書くか。
聞いた時に違和感がないか、テープに録音して何度も何度も書き直した。
一カ月間、みっちりしごかれた結果、今度は県大会にでることになった。
そこからまた一か月、更なる追い込みがあった。推敲に推敲を重ねた。
おそらくここが、僕の文章へのこだわりの始まりだった。
高校時代は現代文のテストがものすごく好きだった。
限られた文字数の中に求められている解を全部埋め込むために、文章を研ぎ澄ます必要があった。
点数稼ぎのため、あたかも問題の内容を理解しているような文も書けるようになった。
大学時代、法学部のテストやレポートでもそれは発揮され続けた。
そして、自分では意識していなかったこの10数年間の積み重ねが、気づいたら才能やセンスとして評価されるようになっていた。
このことに気づいてから、センスはもともと持っているもんなんかじゃなくなった。
才能も同じ。たゆまぬ修練の果てに花開くものだと気付いた。
10代の時はなにも感じることがなかった時間の重さ。
大切に積み重ねてきたものが20数年を通じて個性として花開きだし、それぞれの得意なこととなっているのがこの歳になってようやくわかる。
だからこそ、強く思う。
みんなはなから才能があるやつなんかじゃないと。
みんな、それぞれの思い入れが何かしらあって、意識無意識に関わらず、力を注いだものが武器として花開いているんだと。
才能は開花させるもの。センスは磨くもの。
まさにその通りだ。