お弁当って、ドラマが詰まってるよな。
今週のはてなブログのお題はお弁当だ。
だから、お弁当について思うままのところを思うがままに書き綴ることにしよう。
お弁当について書くにあたって、とりあえず弁当に紐づけられる言葉を洗い出してみた。
お弁当をつくる、誰に?自分に、彼女に、彼氏に、子供に。
お弁当を作ってもらう。誰から?母から、彼女から、お隣さんから。
お弁当をなくす、お弁当を忘れる、お弁当を食べる、お弁当を買う、お弁当を捨てる、お弁当を拾う、お弁当を作ってもらえなかった。
お弁当が豪華だった、お弁当が可愛かった、お弁当が美味しかった、お弁当が貧相だった、お弁当がまずかった。
色々思いついたけど、共通して言えるのはお弁当には必ず誰かの感情がくっついているってことだ。
大好きな彼氏にお弁当を作る。
どんなおかずだったら喜んでもらえるかを考えてワクワクしたり、作った料理がまずいって思われれないかドキドキしたりする。
電車の棚にお弁当を忘れてしまったことに会社で気づいて、「うわああああ」と一瞬絶望する。
運動会の重箱のお弁当は毎年ワクワクして待ち遠しい。
毎日日の丸だったお弁当はみじめな気持ちと一緒に過去を思い起こさせる。
偶然目に留まった唐揚げ弁当が意外に美味しくてテンションが上がる。
こんな感じで、お弁当には必ず誰かの喜怒哀楽がついて回る。
それは、後々になって振り返ってみると、とても懐かしく感じたり、思い出したくもないような辛いものだったり、人によってそれぞれだ。
ちょっと不思議じゃないだろうか。
お弁当だぜ?お弁当。
たかだかお弁当が、振り返ってみると小一時間話せるような思い出話になるんだぜ?
1年365日、お弁当に触れてる時間はどれくらいだろう。
半分以上の人もいれば、ほぼ毎日の人もいる。
お弁当のようにものすごく日常的なレベルのものでも、そこには様々な感情とたくさんの思い出が詰まっている。
なのに、僕らは「毎日がつまらない」とどこかで非日常をいつも追い求めている。
小説の主人公のような、少女漫画のヒロインのような、いつでも心をワクワクしてくれるものが降ってこないか指をくわえて待っている。
だけどそんなキラキラした毎日は急に降ってくることはなく、僕らは漠然と満足いかない毎日を過ごす。
昔、どっかの誰かがこう言っていたと聞いたことがある。
「美しい花を見た時は、素直に綺麗だと感じなさい」と。
それはドラマを求めるのではなく、非日常に飛び込むのでもなく、足元にあるドラマに気づけということだと、僕は勝手に解釈している。
日々は退屈なものではなく、驚きと喜びに満ち溢れているものなんだって。
その人は、たしか経営の神様って言われている人だ。
ドラマは日常に転がっている。
それに気づけたら、あなたの毎日は少し幸せになるかもしれない。