若さが贈る

いつまでも、心に青春を。

かける言葉が見つからない時、僕らに出来ることはただ傍にいることだけなんだと思う。

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大切な人が傷ついている時、落ち込んでいる時、励ましてあげたいけれど、どんな言葉をかければいいかわからないー。

こういった経験は何回かしてきたし、周囲の人達からも同じような状況になったことがあるって話を聞いたことがある。

 

かける言葉がみつからない。

どうして僕たちは時折言葉を失ってしまうのだろう。

それは、僕の好きなコラムニストの方の言葉を借りると、作用反作用が読めないからなんだと思っている

人間関係、それはささいな会話一つとってみても、自分が発したメッセージ(態度や言葉)に対して相手がなんらかのアクションを示す、ということで成り立っている。

そしてその発したメッセージに対してどんなリアクションが返ってくるかっていうメカニズムは、世界70億みんな共通ではない。

それぞれの価値観、バックグラウンド、現在おかれている状況、受け取られたメッセージは様々な要素でぐちゃぐちゃに反射して自分のもとへ戻ってくる。

昔、友人が「人間関係って想像力だと思ってるんだ」と言ってたが、まさにその通りで、自分の発したメッセージはこの人のブラックボックスの中でどのように形を変えて返ってくるんだろう、ということまで思いを馳せて自身の言動を選び抜くことで、人間関係はより円滑で堅固なものになっていく。

 

ちょっと話がそれてしまったけど、なんて声をかけたらいいかわからない時って、さっき話したブラックボックスの構成要素がどんな反射を引き起こすかわからないから、言葉を失ってしまうっていうことが大半なんだと考えている。

つまり、今の自分では想像力が及ばないレベルで相手が苦しんでいるってことだ。

 

最近、僕と同い年で一回り上の男性とお付き合いをしている女友達から相談の連絡が来た。

その男性はある地域を統括する役職に就いているようで、トラブルが立て続けに起こっていることを上席に連日叱責されていたらしい。

その話をぽろっと彼の口から聞いた彼女は、「どうにかして励ましてあげたいと思ってはいるもののなんて言えばいいかわからない、どうしたらいい?」ってことだった。

 

彼女は僕と同い年のサラリーマンで、当然支部を任されるような経験をしたことはないし、ましてや会社の役員級から自分のプロモーションがかかるような叱責を受けた経験なんてしたことがない。

経験だけに限らず、統括長として成果出し続けなければいけないプレッシャー、それを為すだけのスキル、管理職としての視点、物の考え方、そういったもの全てのレベルが全く土俵違いなわけで。

となると、どんな言葉をかけたら相手がどんな反応を示すかなんて想像できようもないから、かける言葉が見つからないも当然だ。

 

 

じゃあ、自分が本当の意味で相手に寄り添えない時、僕らはどうすることもできないのか。

どうにかして力になってあげたい、その想いが変わることはない。

だったら、ただ傍にいて相手が口を開くのを待つ、それだけしか出来ることはないんじゃないかなって思っている。

おそらく、相手と同じ土俵に立てていない状態での励ましの言葉なんて、正直相手に刺さることなんてないし、下手をしたらより孤独にさせてしまう可能性だってある。

解決策を提示したり、勇気づけたりできないからこそ、相手の辛さを一心に受け止める。向こうの思うがままに話が出来るように、ただ穏やかに相槌を打つ

そうやってなんとか相手の悲しみに寄り添うとすることが、最も相手の気持ちを楽にさせて、元気を与えられる唯一の方法だと、今は考えている。

 

ちなみにさっきの女友達にも同じような話をしてみたら、ひとまず全部話してくれて、力になれたかはわからないけど、「ありがとう」って言ってくれた、っていう結末だった。

 

 

余談で、銀座ホステス兼心理カウンセラーの塚越さんの本では、落ち込んでいる相手の発言を拾ってポジティブな意味に変えることで元気づけるテクニックが紹介されてある。だけど、これはたぶん塚越さんが銀座のトップホステス=人間関係に精通しているという大前提があってこそ成り立つテクニックだと思っている。

なんにせよ、悩みを抱えている人間と同じ土俵に立てていない限り、本当の意味で寄り添うことは難しい。

 

銀座No.1ホステスの心をつかむ話し方 (だいわ文庫)

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