フリーランスで働くために必要な資質とはなにか。サラリーマンの僕がフリーランスの友人と浅草で初めてお金を稼いだ話をしよう。
僕は大学を卒業して、新卒でサラリーマンとして社会人生活をスタートした。
組織の一員として働き、お給料を頂く。
まあ、いわゆる普通の人だ。
そんな僕でも、一度だけ自分たちの力でお金を稼いだことがある。
今日はその時に感じたフリーランスとして活動していける人間と僕らサラリーマンとの決定的な1つな違いについて、話をしたいと思う。
その男、同い年の実業家
大学4年の12月、ヴィッパサナー瞑想で出会った友の家に僕はいた。
なんでかっていうと、二人とも東京からこの瞑想のためにわざわざ京都まで足を運んだことと、僕が瞑想から東京に戻るのにママチャリで金を持たず帰るということで息が合い、無事東京に戻ったらそいつの家で鍋パをやろうという話になっていたからだ。
そしたら、その男はいた。
誰この人?みたいな顔をしていると、瞑想友(だるいからメイ友にする)が「こいつはサハラマラソン一緒に走った人」と軽く紹介してくれた。
よろしくーという挨拶はそれなりにして、なぜ今僕がメイ友の家にいるのかという話になった。そこで僕はどうしてチャリ旅をするに至ったか、道中になにがあったかをざっと話した。
正直なところ、この体験は日本国内探しても群を抜いているという自負があったが、その男は全く反応しないどころか、わかるわかるみたいな感じで聞いていた。
なんだこいつは、という違和感を感じていると、おもむろに彼は口を開いてこういった。
「要するに、俺がヨーロッパに履歴書もってアポなしで就活しにいったのと同じ感覚だよね。」
電撃が走った。
意味不明すぎる。
そいつは家が結構でかい時計屋で、若いころに創業者である父親を亡くし家業を継ぎつつ自分のやりたいように生きているやつだった。
大學受験で皆が一様に図書館で机にかじりついている姿に違和感を感じアメリカに飛び、なぜか飛行機に乗ってみたいということでセスナの免許をとり、19歳の頃には沖縄で一カ月ナンパで生活をつなぎ、資本主義と共産主義をこの目で確かめたいとヒッチハイクをしながら世界を回り、今では家業以外にもなぜかライターの仕事やオーストラリアの観光会社と手を組み観光ガイドの仕事をしたり、マルイのテナントでアート作品をプロデュースしたりと、完全に僕とは正反対のゴリゴリのフリーランスだった。
自分たちで、金を稼ぐ
鍋も一通り終わったところで「まあ風呂でも入ろうや」と僕らは近くの銭湯に行くことになった。
その男の話はものすごく面白かった。
発想、行動力が今まであった人間の中でずば抜けていた。
銭湯の文化とはいいもので、初対面の人間でも一緒に風呂に入ればかなりディープな話が出来る。何も着ていないということが、心の壁をも取り払っているのだろうか。
話しているうちに、僕と彼で一つの共通した認識があることが見えてきた。
「俺たちは動ける。あとは、結果だ。」
自分たちで切り開いたものが成功する、もっと言うなら金を作る、それに挑むフェーズに来ているとひしひしと感じていた。
誰となく言葉がもれた。
「なあ、俺たちでなにか売ってみないか。」
今振り返ってみると、その男の頭の中にはそれとなく構想があったのかもしれない。
「ミサンガとかさ、浅草で外人狙うと売れると思うんだよね。」
だけど、三人の中でハンドメイドに強い奴なんていない。
そんな中、つい僕の口からぽろっと言葉がもれた。
「おれ、中学の時書道全国トップレベルだった。」
だけど全国取ったのは7年も前の話で、それ以来全く書いてない。
ただ、本当にお金をもらって書いている有名な人達の実力がどれだけのものか知っているから、僕なんかが書くものなんて作品というなんてほど遠いと思っていた。
だけど、そいつは違った。
「それじゃん、やろうよ。」
こうして僕たちは、浅草で自作のポストカードを売ることになった。
明確になった決定的な資質の差
そこから一週間は怒涛だった。
実際にどう何をいくらで売るかを詰めていった。
最終的に出来上がったのが、浅草で観光に来た外国人向けに、全て墨で作成したオリジナルのポストカードを一枚500円で売る。それだけじゃ惹かれないだろってことで、即興でその人の名前を漢字に直して書いてあげるという特典までつけた。
僕が作品デザインを全面的に任され、その男とメイ友は英語で外国人に売り込むという役回りとなった。
そして当日、ついに僕らは浅草の一角に陣取っていた。
陣取っていたのはいいものの、正直僕は懸念しかなかった。
ポストカードのデザインには水墨画も使っていたが、せいぜい一週間書き込んだぐらいのものだし、書道の腕の方だって鈍ってるっていう次元の問題じゃなかった。
たしかに一般人から見たらめちゃくちゃ上手いかもしれないけど、こんなレベルで商品なんて言えないよ、そう思っていた。
すると、その男はこう言った。
「この前伊勢丹に書かれていた絵、カズマはどう思った。」
「どうって、、、いや、まあよくわかんねーなって思ったけど。」
「だろう?俺たちからみたらあんなん幼稚園児の方が上手いんじゃねえかって思うくらいだ。だけどあの伊勢丹がわざわざ金を払って海外から呼んだアーティストが書いた絵だ。」
「おう。」
「つまりカズマがどう思っていようがこの作品たちをいいなと思ってくれてお金を払ってくれる人がいるのであれば、それはもう立派な仕事だ。価値あるものが正しいんじゃない、価値を感じてもらえるものであればそれでいいんだ。だからウジウジすんな。」
ああ、そうかと思った。
こいつと僕と決定的な違いはここか。
そう思っているうちに、さっそくポストカードは三枚セットで売れていた。
まとめ
その男は今でも新しいことにドンドン挑戦して結果を出している。
これまで多くの起業家やフリーランスに会ってきて同じく感じてきた、そんなあいつと僕らが違うもの、それは権威を必要としているかどうかだ。言い換えれば、実績という名の後ろ盾だ。
最近半年でミシュラン3つ星を取った寿司屋が話題だったが、結局はこの思考性だろう。
フリーランスとして活躍している人達は、一概に「評価されればいいんだ」というマインドを持っている。
確かに日本トップじゃなくたって、他に優秀な人がいたって、そこに価値を感じてくれてお金を払ってくれる人がいるのであればそれはもう立派な仕事だというスタンスだ。
対して僕ら普通のサラリーマンは、お金をもらうのであればそれなりの実力や実績を作ってからじゃないといけないと考えてその力がつくまで動こうとしない。
そして、そうこうしていくうちに結局何も出来ずに終わったりする。
その点フリーランスの人達はとにかく評価されればいいというスタンスで前に進んでいくもんだから、小さいながらに実績が出来て、それをプロデュースして、その実績を見た人が仕事を頼み、更に実績が出来てという循環が出来上がっていく。
そのマインドがモテるかどうか、そこがフリーランスとして独立出来るかどうかの境目だろう。
さあ、あなたはどっちのタイプだろうか。