若さが贈る

いつまでも、心に青春を。

『もったいない』がもったいない。捨てることを恐れるな。

「もったいない。」この言葉は一種の魔法の言葉だ。

時に称賛され、時に僕たちの足かせにもなり得るものだ。

中学生ぐらいの頃、世界一受けたい授業で「もったいない」の精神は素晴らしいという趣旨の授業が行われていた。内容はうる覚えだが、確か世界の中でこの「もったいない」という言葉があるのは日本だけであり、この素晴らしい考え方を世界に広めていこうみたいな感じだったと思う。

 

そんな「もったいない」は、基本的に過去と確定された未来へのベクトルの二つで作用する。

こんなに食べ残してもったいない(この食べ残し分の材料費はもう払っていて不可逆的なものなのだから、きっちり回収しなきゃ)や、あと1か月我慢して退職していればボーナスがでていたのにもったいない(本来であれば得られるものを他の選択肢を取ることによって失ってしまった)といった具合に。

確かに単体の出来事で見た場合、上記の例はもったいないこと甚だしい出来事だと思う。

しかしここで僕が問いたいのは、そのもったいない精神に負けて他の選択肢の優先度が歪められていないかということだ。

 

その点企業の昇進の制度はよく出来ている。

そろそろ辞めようかどうか迷いだした時に、数年先に昇進が出来るように計算されている。言ってみれば退職まで人参を目の前にぶら下げられ続けるのだ。

そうやって過去の積み重ねと将来の希望価値に縛られて、いつの間にか適切な判断が出来なくなってしまう。いわゆるサンクコストにやられるってやつだ。

 

では、このような状況を打破するためにどうすればいいか。

それは一つしかない。捨てる勇気を持つことだ。

ただし、こういってしまうと語弊を招くことがある。「違うと思ったらすぐに捨てれればいいのか!じゃあなんか今の会社合わないからやーめよ!」みたいな感じになってしまう。

あくまでもここで言っている捨てる勇気とは、時間が有限であるためそのもったいないと思うこと以上に大切な他の選択肢を優先するということだ。

例えばバスケを初めて半年経つけどあんまり楽しくないから半年続けたことを気にせずすぐ辞めるとか、上達しないから辞めるとかいうのは話が違う。(それ以外に他のスポーツをやっていてそのスポーツを優先したいからというならいい。)

物事には必ず真理たるものが存在すると僕は思っている。スポーツで言えば本当に面白くなるのは試合に勝てる実力がついてからだ。そこに辿り着きもしないで面白くないとやめてしまうのは違う。もともと活かす才能が違っていたというのならわかるが、上達するための最大限に突き詰めもせずに止めてしまうのは違う。

そんな弱い奴になることを助長するような甘ったるい話ではない。その逆だ。世間一般の常識やこれまで費やしてきた時間に逆らって自分の意思で決めるということが求められる、とてつもなく覚悟がいることなのだ。

 

時間は有限であるからこそ、全ては出来ない。

だから、そんな『もったいない』なんかに縛られないで、ベストだと思うことをやろうよ。