若さが贈る

いつまでも、心に青春を。

『とりあえずネゴらない』というネゴり方。

いつからかネゴればどうにかなることが結構多い、って考え方が身についていた。

きっかけは多分孫正義さんの受験エピソードを聞いたことだったと思う。確かアメリカの大学の入学試験で受験資格が無かったけど直接大学に電話して受験させてもらった、みたいな話だった。

 

まあ、本当に大抵のことはネゴればどうにかなってしまうことが多い。

これを実感したのはヨーロッパをバックパックした時だった。泊められないって言われたところを一時間ネゴりまくって最終的には他の宿泊客にも応援してもらいながらキッチンに泊めてもらったり、なぜか忘れたけど新幹線代ほぼチャラにしてもらったり。「言ってみるもんだなあー」としみじみ思ったことを今でも覚えている。

 

似たような話としてはインド。僕は行ったことがないけど、帰ってきた人達の感想を聞くと、交渉するのが当たり前の世界で価値観変わったみたいな話をよく聞きました。こういう話を聞くと、言われたことを「はいそうですか」と素直に受け入れることが全てじゃないんだなーっと感じる。

一見そうはいってもと思うかもしれないが、冷静に周りを見渡してみればそうであることは間違いない。

一例をあげるのあれば裁判の違憲判決だ。必ずしも法律によって定められたルールが絶対ではなく、間違っている可能性だってあることを示している。

歴史を振り返ってみてもそうだ。フランス革命は言ってしまえば貴族に対して「この階級制なんかおかしくないですか」とネゴって人権宣言を勝ち取ったものだ。

 

じゃあ、さっそく明日からなんでもかんでもとりあえずネゴっていきましょう、っていうつもりはさらさらない。だって、ネゴられた方ってけっこう迷惑なんですよね。当たり前だけど。いやあ、意味わかんないでしょ。てか面倒くさいでしょ。

あとはその「とにかくネゴってみろ」のスタンスが皆に浸透してしまったら、本当に秩序も何もなくなるってことが一番問題だと思う。とういうかそんな世界疲れるでしょう。

 

というわけで最近は自分の利益だけでネゴるのをやめるようにしてます。

「いやそれ普通に考えておかしいでしょ」っていう大切な時にだけネゴる。

そういったネゴって、意外にすんなりと受け入れてもらえたりする。

そして、ネゴった時は心の中で「面倒かけてごめんなさい、助かりました、ありがとう」っていう気持ちを忘れないようにしながら。