あなたが怒られるのはコミュニケーションコストがかかるせい?-対人関係の悩みを伝える側から考察する。
コミュニケーションの問題は、些細なことから大きなことまで日常のありとあらゆる場面で起こっている。
恋人とのやり取り、上司とのやり取り、家族とのやり取り、親友とのやり取り。
あからさまに怒られたり、面倒くさがられたり、時にはシンプルに「で?」と言われてしまったり、それらを引き起こしてしまう原因は相手の気持ちを察することが出来ていないことだったり、そもそも話の論点がずれてしまっていたりと色々存在するのだろうが、今回は『話のゴールまで中々たどり着けない』人について触れたいと思う。
注意書き的になるが、僕は基本対人関係においてどちらか一方が頑張らないといけないという考え方は嫌いだ。
例えば、「君何言っているかわかんないから出直してこい」と一方的にキレたりするのはイケてるとは思わない。
伝える方にはちゃんとわかりやすく伝えるという責任もあるが、聞く側にだって肝要な心で相手の話がつたなくてもなんとか理解してあげようという姿勢は大切だと考えている。
要は、どちらか片方がコミュニケーションの責任を負うんじゃなくて、相互にリスペクトしたうえでお互いに歩み寄る努力が大切だって考えている。
じゃあ、どうやって『相手に歩み寄っていく』かについてだが、これから発信側について書きたいと思う。
相手にエネルギーをかけさせてしまう人
恐らく発信側ー何かしらのことを誰かに伝える際に苦手意識を持っている人は、普段のやり取りの中でよくわからないけどなぜか怒られる、雑な返しをされる、詰められる、もしくは単刀直入に「だからさあ!!」って言われるといった経験はないだろうか。
それは、あなたが相手から見た時にエネルギーのかかる人間だからという理由からだ。
言い換えると、あなたが言っていることを理解することに頭を使ったり、意識を集中させたりしないといけない状態に相手をさせているということ。
たぶん、話しながらうすうす自分でも「あれ、なんか自分の話がうまく伝わってないな」ということには気づいていると思う。
では、何がそんなにあなたの話を厄介なものにしてしまい、相手をイラつかせてしまっているのか、2つの理由を見てみたい。
そもそも何を言っているかわからない
あなたはきちんと話しているつもりでも、聞く側からしてみたら何を言っているのかわからないということは往々にしてあることだ。
「え、ちょっと待て。何言ってるのか全然わからない。」と言われてしまう時は大抵2つの原因がある。
それは、日本語的な問題で文章がそもそもなっていない(主語述語が抜けている、接続詞の使い方が適切じゃない、あれそれといった指示語が多すぎる)ことと、話を進めるうえでの前提条件を相手と共有できていないことだ。
日本語が出来ていないっていうのもけっこうな問題なんだけど、まあこれはちゃんと「誰が」という主語をいれることと、「こそあど言葉」をなるべく使わないようにして固有名詞を使うことを意識すれば大抵は良くなる。
接続詞やてにをはがうまく使えていない人は日本語の文法書を一回買って勉強した方がいいかもしれない。
ちなみに接続詞はこいつがおすすめ。
それよりも、相手と前提条件を共有できていないことはかなり厄介な問題だ。
なんで厄介かって言うと、これが大抵話の冒頭に入れることを忘れてしまう。
ついつい質問などする時は「○○ってどういうことなんですか!?」って気持ちがはやって聞いてしまうんだけど、相手からしてみればどうしてあなたにその疑問が起こって自分はその質問に対してどんな答えを伝えればいいかが全く分からないのだ。
従って、まずは一旦気持ちを落ち着かせて「○○をしているときに△△というような問題が起こって解決策を教えてほしい」のように、話の最初に必ず相手に自分がこの話をするうえで共有しておくべき前提条件をしっかり伝えておくというのが、円滑なコミュニケーションでとても大切になってくる。
何をしてほしいのかわからない
このタイプの人は「言ってることはわかった。それで結局何?」と言われてしまう人のこと。
相手はどうリアクションを取ってほしいかわからず、その結論に辿り着くまでに長いラリーが必要になるからうんざりさせてしまう。
こいつを引き起こす主な原因は、『こう言ったらこう動いてくれる』っていう暗黙の了解において世代間や立場で認識の差があること、あとは単純に伝える順番を整理できていないだけということが挙げられる。
この二つの中で、特に暗黙の了解の差は厄介な問題だ。
これは正直伝える側でも聞く側の問題でもないような気がするけど、対応策としては経験の中で暗黙の了解を感じ取っていくしかないと思っている。
例えば
反対に物事の伝え方を整理できていないのは100%伝える側の問題だ。
これは大いに改善できる要素で、意識してほしいのは結論⇒理由の順番で話を組み立てることだ。
このように結論、相手にどうしてもらいたいかを先に持ってくることで、「早く結論言って!」とせかされることもなくなるし、ましてや結論を言わずに「で、結局何なの?」と詰められることも無くなる。
最後に
コミュニケーションコストがかかる人って、やはり相手からしてみるとめちゃくちゃ鬱陶しいもの。
「頑張って理解してよ!」のスタンスで自分が全く努力しようとしないのは、伝える側の怠慢だ。
従って、上記のことを意識するだけでもあなたの対人関係は格段に飛躍するだろう。
次は聞く側の視点で書こっと。
ダイエットを終わりにしたいならここに行け!東京で最も安い結果コミット型ジム、バディトレ部に通ってみたよ。
実は今年の5月から8月にかけて、トレーナーがいるジムに通っていた。
元々トレーニングは自分でやっていたのだが、我流でやっていると本当に自分の筋トレのフォームや食事のとり方が正しいのかわからなくなることが多い。
それに、そこそこ結果もでずに行き詰っていたから、一回トレーナーに教えを乞いて正しい筋トレに関する知識を身に付けたいと思って、ジム通いを決意したわけだ。
そして縁あって通い始めたのが『バディトレ部』という結果コミット型のジム。
コンセプトは”筋トレが人生の問題を全て解決するはずだ”という理念のもと、正しいトレーニング知識、正しい栄養・食事のとり方を世に広めていきたいというものだ。
世間では結果コミット型のジムと言えばライザップが有名だが、正直2ヶ月40万程度と一般人にとっては少々高すぎる金額だ。
それに対してこのバディトレ部では、”みんなに広く伝播させたい”という思いから、価格を抑えるためにグループトレーニング&パーソナルトレーニングという一風変わった形態を取っている。
グループトレーニングではトレーナーが2~3人いて、受講者がだいたい10人程度という感じだ。
パーソナルは世間一般の一対一のトレーニング。
このため3カ月がだいたい15万程度から始められるという破格の設定になっている。
価格が安い。
理念もカッコいい。
じゃあ、結果は実際に出るのか?という点が気になるだろう。
僕を例にだすと、実はダイエットではなく筋肉をつける目的で始めた。
通い始めが身長180cm、体重63kg、体脂肪率は8%だったが、2ヶ月半で体重73kg、体脂肪率10%まで増加させ、残り2週間程度で体重は5kgぐらい絞った。
つまり、太らせるのも痩せさせるのも結果が出たということだ。
同じ時期にダイエット目的で入った人たちも、3ヶ月で体重はだいたい10~15kgぐらい、体脂肪率は20%台の人が10%台へ、10%台の人は1桁へ減らしていた。
安く、結果が出るため非常におすすめであることは間違いないが、どうしてこのジムは結果が出るのか、どうしておすすめするのかについて、4つの理由を紹介したいと思う。
結果が出る理由① 正しい知識を得るために徹底サポートしてくれる
マッチョになるせよ、痩せるにせよ、トレーニングを行っていく上で最も重要になってくるのは正しい知識があるかないかだ。
それは、筋トレのフォームであったり、トレーニングを週に何回すればいいかといった話であったり、食事はどのような栄養バランスを考え無ければならないかであったり多岐にわたる。
それをこのバディトレ部では、トレーニングの最中やトレーニング用のライングループ(ライングループを参加者数人とトレーナーで作る)の中で質問すればいつでも教えてくれる。
たぶん僕はめちゃくちゃ聞きまくった方で、「そう言えばこれってどういうことなんだろう?」って思ったことをすぐラインで送っては適切な回答をしてくれて非常に勉強になった。
また、「自分から聞けない。。。」とあまり積極的になれない人も心配いらないよう、ライングループでは食べた食事は全部写メを取って送ることが義務付けられ、ダイエットをするうえでマズい食事をしているようならすぐさまコメントが飛んでくる。
またグループトレーニング中もみんなにしっかり気を配ってくれ、正しいフォームを身に付けきれていない人には徹底指導が入るというシステムになっている。
結果が出る理由② 仲間と一緒に頑張れる
そもそも費用を抑えるためにと導入しているグループトレーニングだが、実はこれがモチベーションの面で非常に大きな役割を背負っている。
単純に、トレーニングに集まる人たちは自分の身体に対して何かしら問題意識を持ち、それを解決しようという目的意識を持っている。
しかもそれなりの金額を払っているのだから、「痩せたい!」「たくましくなりたい!」という思いは人一番強い。
そんな中でトレーニングをするのだから自然と筋トレ中に「○○さんなにさぼってるんですかー!!」や「△△さん、そんなもんじゃないでしょうがああああ!!!」といった励まし合いや負荷の掛け合いが起こりだす。笑
こうなってくると必然的に頑張るしかなくなってくるから、結果が出やすい。
それに、実はこのグループ男女混合、幅広い年代がいるから、可愛い女の子にヘタレな姿は見せられないという面でも、パフォーマンスが格段にあがる。笑
結果が出る理由③ 渋谷駅から徒歩10分以内とアクセス抜群
ダイエットなどをしていく上で、結果を出す障害になるのが継続的に続けられるかどうかという点。
「そんなの気合だ!」といっても人間だもの、なるべく「ああ今日はジムいくのやめとこっかな。。。」って思わないような仕組みがあればあるほど続きやすいに決まっている。
そういう面でもこのバディトレ部は副都心である渋谷に位置しており、しかも駅から10分以内(正直そんなにかからない)というアクセスの良さで、「通うのメンドクセー!!」とならずに無理なく継続できるから、結果が出やすいのだろう。
結果が出る理由④ トレーナーが実はすごい人
トレーナーは複数にいるのだが、その中でもメイントレーナーである星野雄三さんが実はものすごいトレーナーなのだ。
彼は学生時代はアメフトに励み自らの体を通してトレーニングを学んできたし、また東京大学大学院で筋肉についての研究に取組み学問というアプローチからもトレーニングを学んできたという経歴を持っている。
そんな筋肉のスペシャリストはあのハロプロのトレーナーも務めていたことがあるほど、トレーナーとしての実力もお墨付き。
そういったもの抜きにしても、彼のトレーニングを受けたら一瞬ですごい人だということがわかるのは、モチベーションの引き出し方がものすごく上手いという点だ。
彼のトレーニングがトレーナーの中では一番きついはずなのに、彼が場を仕切りだした途端なぜか高揚感に包まれ「頑張んなきゃ!」ってなって100%のトレーニングが出来る。
おそらく彼の存在が、このバディトレ部で結果がでる最も大きな要因なのかもしれない。
最後に
人生において、やはり容姿の悩みはつきものだ。
スタイルがいいと言われているモデルさんたちだって、生まれつきなわけではない。
食事管理、筋トレを重ねたうえで手に入れている。
だから、なにかしら「ダイエットしたい」とか「もっとスタイル良くなりたい」とか思っている人は、どこかのタイミングでトレーニングに関する正しい知識をお金を払って学ぶ必要があると僕は考えている。
そのジム選びの一環として、この記事が役立てばとても嬉しい。
詳細情報、体験お申し込みはこちら!
ちなみに、LIGさんのブログでも面白おかしく紹介されているから、是非。
教養のための読書。-岩波文庫の中でおすすめの10冊を紹介するー
先日、『教養は人生の中で必要、だから少しずつでもいいから本を読もう』という趣旨の記事を書いた。
最後の方で、「とりあえず岩波文庫でも読んどけ!」という雑な案内をしていたので、今回は実際に岩波文庫の中で何を読めばいいのか、というところでおすすめ本を紹介したいと思う。
代表的日本人
非常にとっつきやすく、岩波文庫を始めて読む人には特におすすめなのがこれ。
内容としては明治維新の中で西欧開花していく時代、内村鑑三が外国人に向けて「日本にはこんな素晴らしい人物が居たんだ!」っていうのを紹介するという話。
明治維新の立役者・西郷隆盛、薪を抱えて勉強している銅像でお馴染みの二宮尊徳、”為せば成る”の名言を残した名藩主・上杉鷹山、日本朱子学の重鎮・中江藤樹、日蓮宗の祖・日蓮ら5人の生涯を綴っている。
偉人の生涯を知るっていうのは教養面でも非常に有意義なことだと思う。
それに立派な人たちの物語なので、読後には心が洗われた気がするし、「よし、頑張ろう」と勇気づけられる一冊だ。
大学・中庸
中国古典からは四経のうちの2つ、大学・中庸がまとまったこの一冊を紹介する。
その儒学の教科書となるのが四経と言われるものなので、つまりこれは儒学のテキストってことだ。
特に読んでほしいのは中庸。
ページ数も少ないし、内容自体もすっと入ってくる。
なにより人生において重要な”バランス感覚”を教えてくれる、大切にしたい一冊。
自省録
古代ギリシャの哲学者たちからは賢帝マルクス・アウレリウス帝の自省録。
正直古代ギリシャといえばアリストテレスなんだけど、この人の本は長い。
ひたすら長い。勉強になるし面白いんだけど、読んでて疲れる。マジで。
だからまずは哲学に触れてもらうためにあえてこの本を選んだ。
程よいページ数で、書いていることも難解ではない。
自省録というタイトルからもわかるように、皇帝として生きていく中で仁義を貫くために自分への戒めを綴ったようなものだからわかりやすいのだろう。
でもたまーに宇宙がどうだのこうだの言っちゃうから気を付けて。
- 作者: マルクスアウレーリウス,神谷美恵子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/02/16
- メディア: 文庫
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ガリバー旅行記
イギリス文学からはスウィフトのガリバー旅行記。
内容自体も非常に面白く、”人間とは?”という部分も考えさせられる示唆に富んだ一冊。
とにかくこの本からはイギリスならでは上品さや優雅さ、余裕といったものを感じ取ってほしい。
まあ書いてる内容自体は結構汚いんだけど。笑
馬のうんこに顔突っ込んだみたいな話があったようななかったような。
- 作者: スウィフト,Jonathan Swift,平井正穂
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1980/10/16
- メディア: 文庫
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若きウェルテルの悩み
ドイツ文学の巨匠・ゲーテの作品。
本当はゲーテといえばファウストだと思っているんだけど、ファウストは読みづらいし長いんだ。詩文形式だし宗教的要素がかなり入ってくるから何回も理解に立ち止まったり脚注参照したりしないといけなくて面倒くさいんだこれが。
それに比べてウェルテルは適度な分量で日記形式だからさーっと読めるためおすすめ。
内容としては人妻に恋する童貞野郎のお花畑物語。
ゲーテがそうなのかドイツ文学がそうなのか、基本的に頭の中お花畑なんじゃねーかと思うような文調だ。きちんとした言い方をすると、のびのびしている印象を受ける。
表現が豊かとも言えるかな。
まあ、面白いんで是非。
- 作者: ゲーテ,Johann Wolfgang Von Goete,竹山道雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/12/01
- メディア: 文庫
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レ・ミゼラブル
映画化やミュージカルで近年注目を集めたこの大作、原作は全4巻でだいたい2,400ページ近くある。
まあひたすら長い。鬼のように長い。
だけど名作と言われるだけのことは合って、読み切った時は最高だよ。
フランス文学はフランス革命期の情勢をものすごく反映している。
青年よ立ち上がれ、我々の魂は革命とともにある、みたいな。
本作の主人公ジャン・ヴァるジャンしかり、とにかく正義に熱いっていうのが特徴だ。
罪と罰
ロシア文学といえばドストエフスキーしかいないでしょう、ってことで罪と罰。
本当であればカラマーゾフの兄弟をあげたかったけど、いかんせんカラマーゾフは長いし宗教的要素が入ってくるしでめちゃくちゃ読みづらいから罪と罰。
まだこっちの方が少しは読みやすい。
ロシア文学は物語全体に流れている憂鬱なうっとしい感じが癖になる。
というか全体的に名前がわからなすぎて進んでは戻ってで全然進まない。
多分好き嫌いが分かれると思うが、一度手に取ってみてほしい。
- 作者: ドストエフスキー,Fyodor Mikhailovich Dostoevskii,江川卓
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1999/11/16
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フランクリン自伝
アメリカ文学からは実業家フランクリンの伝記。
文学というより啓蒙書といった位置づけで見た方がいいかもしれない。
商人、今で言うならビジネスマンとして成功していくための心構えやノウハウに富んだ一冊だ。
君主論
冷徹かつ非常に、っていうイメージが強いかもしれないけど、読んでみると国を治める、人を統治するってこういうことなんだろうなあと思う。
HOW TOなので非常に淡々とあっさりしていて、読んでいて面白くはない。
というかつまんないからざっと目を通してみるだけでいいと思う。
- 作者: ニッコロマキアヴェッリ,Nicoll`o Machiavelli,河島英昭
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1998/06/16
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プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
経済分野はもうこの人しかいない。
マックスヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神。
世界史を勉強していた人なら絶対名前は聞いたことがあると思う。
それほどに世界の経済に影響を与えた一冊。
現在の資本主義の原則について鋭い考察を入れている一冊だが、正直読んでも全く意味が分からない。
理解ではなくとりあえず読むことに意義がある一冊だと思っている。
最後に
今回は岩波文庫の中でも中国古典や哲学、それぞれの海外文学といったカテゴリーの中で、「これは読みやすいしとっかかりにいいんじゃないかな」という本を10冊選定してみた。
どれも読んでいて損のない良書だと思うので、気になるものがあれば是非図書館にでも本屋にでも行って手にとって読んでみてほしい。
『数学が好きな人は法学部にいくと楽しいんじゃないのか』って自論を思いついた。
最初に断っておくと、数学と法律って結構似てる気がする、と思ったっていうだけの話だ。ホントにただそれだけ。
だから、落ちもなんもない話だけど付き合ってもらえたらと。笑
僕は大学時代に法学部で法律を学んでいた。
なんで法学部を選んだのかっていったら色々理由があって、当時はやりたい仕事がなくて”潰しの法”と言われてるくらいだから後々損はないなーって考えてたり、
小さい頃からなぜか親が六法全書を読めって言っていて他の学部より親近感があったり、
そもそも大学の中でもキング・オブ・学部だし(要するに一番じゃん)って思ってたり、
大学受験の答えを覚えてはきだす勉強にうんざりしていたから自分の頭を使って色々考える学問がしたいって考えてたり。
まあこれっていう決定的な理由はないんだけど、そういったものが重なって法学部に行くことにした。
結論、大学4年間法律を学んでよかったと思っている。
盛るとかそういうの抜きに、純粋に楽しかった。
教養という意味でも十分すぎるくらいアカデミックな内容だし、刑法や民法は実生活に即する内容で興味をもてたし、なによりもロジカルな思考が求められることが一番楽しかった。
で、そんなことを友達と話していると、「そう言えば大学受験の時の数学と法学部の試験って基本的に解き方一緒だな」って思ったので、今回はその話。
法学部って何するの?
正直法学部ほど何をするかイメージの付きやすいものはないと思っている。
絶対これまでの人生で他の学問と比べて耳にする機会が多い。これは断言できる。
多分みんなが一般的に抱いているイメージは、六法って呼ばれる主要な法律を中心に勉強して、法律(条文)を読みながらこういった事件が起こった時にはこうだ!っていうのを考える学問なんだろうなーってとこじゃないだろうか。
だいたいそれでいいと思う。笑
4年間結構本気で法律を勉強した(と思っている)立場から言わせてもらうと、法律を学ぶと一言にいっても3つのタイプがあると思っている。
それは、概念について学ぶものと、実務として利用されるものと、ルールを知るものだ。
具体的な分野で言うと、概念について学ぶものは憲法や行政法といった抽象的なお話をする法律。
実務として利用されるものは民法や刑法。想像しやすいと思う。
ルールを知るものは租税法や商法。「税金を取るときはこの決まりに従ってくださーい」や「会社作るときはこれに書いてある通りに作ってくださーい」といった規則を明記した法律。
そしてこれは一個人としての見解なんだけど、この3つのタイプの中で実務系が勉強していて一番面白いと思う。
単純に民法や刑法は身近なことの話をするから興味をもちやすいっていうのもあるんだろうけど、とある事案に対して法律と裁判例を根拠にしながら自分なりの答えを導き出すっていう過程が抜群に楽しい。
例えば刑法だったら、Aさんという人は○○ということをしました。
○○をしたら△△だという法律があり、その△△という法律には□□という解釈の仕方と××という解釈の仕方の2通りあります。
というわけで、Aさんの罪は□□の時はこれになって、××の時はこれになります。
私は◎◎という理由で××の方がより正しいと思うので、Aさんは@@という罪になります、みたいな。
この回答、どっかで見たことある気がしないだろうか?
大学受験の数学
数学、といってもここで僕が指しているのは二次試験で筆記問題で出される数学のことだ。東大とか一橋とか。阪大もあったけな?
めちゃくちゃ懐かしいけど、青チャートレベルでもあったと思う。
だいたいここまで話して、ピンときた人もいるんじゃないだろうか。
そう、場合分けってあるじゃん。
なんか数式計算して二次曲線みたいなグラフと円描いて、〇≦x≦△のとき、y=〇x+◇だからその部分は点線じゃなくて実線で書いて、みたいな。
もうこれが刑法、民法の解き方とものすごく似てる、というかそのまんま。
場合分けして、答えはこれですって解答を示す図式、もうそっくりだよね。
最後に
ということで、法律(民法、刑法)と大学受験の数学の問題ってめっちゃ似通っている。
だから、数学の問題解くのが好きな人は法学部いけば楽しめるんじゃないかなあと、そんなことをふと思った。
東京西川のマットレスAirとオーダーメイド枕を使ってる所感。
僕は地味に高校の時から肩こりに悩まされている。
原因はなで肩と猫背と目が疲れやすいことだ。
目が疲れやすいのは本当にひどくて、ゲームをしていると1時間くらいで「目があああ!」ってなるから、親からゲームはそこそこにしなさいって言われる前に自分から止めたくらいだ。
肩こりの悩みは社会人になってからも続いていた。
肩が凝りすぎると痛くて意識がそっちに持ってかれるし、肩と目は連動していて目が疲れる・肩がこる⇒眠くなるの悪循環でパフォーマンスが明らかに落ちることが気になっていた。
それなのに、寝具にあまりこだわることがなく中学の時に買った枕をずっと使っていた。「これ絶対高さあってねーな」と気づいてからは、オーダーメイドで枕を作りたいなーっと漠然と考えるようになっていた。
そして4カ月前、引っ越しに伴って家具を一式揃え直すことにした。
そこで念願のオーダーメイド枕を作ることにしたんだけど、ついでにマットレスもいいやつを買ってしまった。笑
ちなみに買ったのはこの2つ。
寝具の老舗・東京西川のオーダーメイド枕と、大谷翔平やネイマールのCMで有名なマットレスAirだ。
継続してみて使ってみて、今実感している効果について今回はレビューしたいと思う。
オーダーメイド枕
東京西川が運営するオーダーメイド枕専門店のピロースタンドでは、店舗にて”眠りのソムリエ”と言われる専門スタッフと一緒に寝具選びが出来るのが大きな特徴だ。
僕が買ったオーダーメイド枕は全部で4箇所の高さを調整して作った。
首元、頭部、側部が2箇所で計4箇所。
”眠りのソムリエ”がいてくれて非常に助かったのは、正しい知識で寝具選びを出来たことだ。
今まで使っていた枕はなんとなく首が疲れやすい感じがしていたから、高さがあっていないんじゃないかと考えていたが、実際はベストの高さが何かはわかっていなかった。
それがこの眠りのソムリエ、どれくらいの高さがベストなのか実際の感覚も織り交ぜながら(首が圧迫されている感じはないか、体が一直線になっている感覚はあるか、など)詳しく教えてくれながらミリ単位で調整してくれるため、より自分に合った枕づくりが出来た。
マットレスAir
正直これは当初買う予定はなかったが、睡眠時間も短縮したいと思っていたので購入に至った次第だ。
マットレスは今まで全然こだわったことがなくて、大学の時は先輩のおさがり、社会人になってからは寮に備え付けられているベッドだった。
眠りのソムリエ曰く、若い人や運動をしている人はまだちゃんとした寝具を使わなくても大丈夫だけど、やはり徐々に歳を取っていくと疲れの取れ方が寝具の良し悪しで全然違ってくるとのことだった。
そして、マットレスも値段の高いやつを買えばいいっていうわけじゃなくて、ちゃんと自分にあったものを使用する必要があるとの話。
例えば、低反発やフワフワしたマットレスが好まれる傾向にあったり、体に良いと押されていたりするが、これは一概に良いとは言えなくて体格のいい人は体が沈みすぎて逆効果らしい。
ちなみに僕は身長がそれなりにあるから硬いタイプのマットレスを薦められた。
実際の効果は??
実際に4ヶ月使ってみて、正直に感想を述べると、
①肩こりは減った気がする
②睡眠時間短縮に貢献しているかはよくわからない
③疲れの取れ方が違うのは非常によくわかる
といったところだ。
枕を自分にあった高さに作り替えたため、明らかに寝る前に首がつっかえるようなストレスは無くなり、寝起きの「なんか首回り違和感あるなー」っていう問題は解消された。それに伴い、肩こりでつらいという期間も随分減った気がする。
睡眠時間が減ったのかは正直よくわからない。
反対に良く寝れすぎて増えたんじゃないかとさえ思っている。笑
だが、疲れの取れ方が全然違うのは本当に手に取るようにわかる。
購入時に眠りのソムリエが「本当に体に合ったマットレスで寝ると、体全身が伸びた感じがして、血流が良くなってギューッと流れる感覚がある」と言っていたが、まさにそのとおりだ。
ベッドに転がり込むだけで、「ああ、僕疲れてるんだ」と気づかせてくれるほど全身が伸びて気持ちいい。
最後に
今回僕は東京西川で全部揃えたけど、色々なものを見て回ってもいいと思う。
予算が許すなら真央ちゃんで有名なエアウェーブとか。
ただ一つ思うのは、今まで寝具にこだわったことがなくてこれからちゃんとしたものを使っていきたいという人には、東京西川のオーダーメイド枕とマットレスAirは価格と実用性のバランスが取れている非常にとっつきやすい商品だと思う。
睡眠の質に興味がある方は、是非一度店舗に足を運んでみたら目から鱗なことが待ってるかもしれない。
自分一人じゃ決断できない。-アドバイスをもらう時に気を付けるべき2つのこと。
『決断する』という岐路に立たされる時、人は2種類に分かれる。
自分1人では決めることが出来ずにアドバイスを受け熟慮する人と、アドバイスをもらわなくても自分でドンドン道を切り開いていける人だ。
僕は間違いなく前者の人間で、大切な決断の時には恐怖や不安に負けたり、よりベターな選択肢はないかと考えたりと、いつも自分で決める前に人からアドバイスを受けている。
本当に小さい頃からアドバイスもらいまくり人間だったけど、『ちゃんとしたアドバイスのもらい方』の原型が出来たのは、大学生活が終わりに差し掛かったあたりだった。
就活やら就活が終わった後の大学生活の過ごし方やら今後の人生やらについて悩みに悩んでいた僕は、本当に年齢も性別もバックグラウンドも違う色んな人からアドバイスをもらいまくった結果、どうすればいいかわからなくなった。
今振り返ってみると、当時はいくつもあるアドバイスの中から、「どのアドバイスに従うことがベストなのか」というところに躓いていたような気がする。
その時必死に考えた経験、アドバイスをもらう時に大切だと気付いた2つのことについて、今日は話したい。
なぜ相手はそのアドバイスをしたかを考える
相手がそのアドバイスをなぜしているのかを正しく理解することは、アドバイスを受けるうえで最も重要な要素であると考えている。
なぜなら同じ事を言っているようなアドバイスがあったとしても、それらのアドバイスに含まれるメッセージが異なっていたり、同じ内容についてアドバイスをしているようでも、よくよく聞いてみると全く別の次元のアドバイスであることがわかったりすることが往々にしてあるからだ。
極端な例かもしれないけど、「絶対結婚した方がいいよ!」とアドバイスをするAさんと、「別に結婚はしなくてもいいよ。」というBさんがいるとする。ちなみに設定としてはアドバイスを受ける人は未婚者。
Aさんは40代で結婚をした世間一般で言うところの晩婚の人だ。
周りの皆が結婚していくのに自分だけ取り残されていった30代の苦い思い出ももちろんあるが、なにより家庭があるという幸せを噛みしめているからこそ「(独身よりも)結婚した方がいいよ」とアドバイスをする。
一方Bさんは法律家。
別にこのご時世、婚姻届けを出さなかったからって婚外子やその他諸々の権利も面で不都合や不利益が出るわけじゃないから、別に事実婚や内縁でもいいんじゃないのと考えている。実際にBさんには奥さんはいるが、婚姻届けは出していない。
夫婦としての関係があることは大前提で、「(法律的に)別に結婚はしなくても(事実婚で)いいよ」 とアドバイスをする。
こういった背景を読めなかったら、生涯独身でもいいかどうかの対立するアドバイスだと捉えてしまう。
それでもし「まあBさんは別に結婚しなくてもいいって言ってたし。」って考えて生涯独身を貫き通したなら、アドバイス通りになっていないってことになる。
じゃあ、こういったアドバイスの裏側を読み取ろうとしたらどうしたらいいか。
それは性別、職業、家族構成といった目に見えてわかる情報から、相手がどんな価値観を持っているのかというところまで考慮して、どうしてそのアドバイス(答え)に至ったのかについて想像力を掻き立てるしかない。
それが言葉の理解を深め、より本質を突いたアドバイスを受け取ることが出来る。
アドバイスが絶対正しいわけじゃないことを理解する
アドバイスをもらう人間が良く陥ってしまう罠に、アドバイスを受けた自分はそれに従わなければいけないという強迫観念を持ってしまうというものがある。
かく言う僕も思いっきりそのタイプだった。
今の自分の考えよりもアドバイスをしてくれた人の考えの方が正しくて、アドバイスを聞かなかったら絶対失敗してしまうと思い込んでしまう。
この強迫観念が、アドバイスをもらうスタンスを狂わせる。
この強迫観念はめちゃくちゃ根強いもので、アドバイスを無視して失敗した時に「ほら、言ったとおりにしておけばよかったのに。」と言われる経験が積み重なれば積み重なるほど、アドバイスが絶対正しい、アドバイス通りしたら絶対成功する、みたいな考えがしみつく。
だけど、アドバイスで提示された選択肢もあくまで一つの指標でしかない。
あなたの考えAがあって、アドバイスBがあるとするなら、Bを選んでいたからといって必ず成功するかっていうと、そういうわけでもない。
成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。客観的に考えると物事に絶対性はないし、そう思うとAもBも同じ土俵の選択肢のはずだ。
だから、『もらったアドバイスが絶対に正しいし、それに従わないといけない』なんてことはないということを理解しておく必要がある。
まとめ
相手のアドバイスを正確に読み取り、言い換えれば本質を捉えて、自分の状況に当てはめた時により良い判断になるかフラットな視線で判断する。
これがアドバイスをもらう上で気を付けておきたいことだと僕は考えている。
これが出来るようになれば、もらったアドバイスは有意義なものとしてあなたの選択肢に生きてくると思う。
かける言葉が見つからない時、僕らに出来ることはただ傍にいることだけなんだと思う。
大切な人が傷ついている時、落ち込んでいる時、励ましてあげたいけれど、どんな言葉をかければいいかわからないー。
こういった経験は何回かしてきたし、周囲の人達からも同じような状況になったことがあるって話を聞いたことがある。
かける言葉がみつからない。
どうして僕たちは時折言葉を失ってしまうのだろう。
それは、僕の好きなコラムニストの方の言葉を借りると、作用反作用が読めないからなんだと思っている。
人間関係、それはささいな会話一つとってみても、自分が発したメッセージ(態度や言葉)に対して相手がなんらかのアクションを示す、ということで成り立っている。
そしてその発したメッセージに対してどんなリアクションが返ってくるかっていうメカニズムは、世界70億みんな共通ではない。
それぞれの価値観、バックグラウンド、現在おかれている状況、受け取られたメッセージは様々な要素でぐちゃぐちゃに反射して自分のもとへ戻ってくる。
昔、友人が「人間関係って想像力だと思ってるんだ」と言ってたが、まさにその通りで、自分の発したメッセージはこの人のブラックボックスの中でどのように形を変えて返ってくるんだろう、ということまで思いを馳せて自身の言動を選び抜くことで、人間関係はより円滑で堅固なものになっていく。
ちょっと話がそれてしまったけど、なんて声をかけたらいいかわからない時って、さっき話したブラックボックスの構成要素がどんな反射を引き起こすかわからないから、言葉を失ってしまうっていうことが大半なんだと考えている。
つまり、今の自分では想像力が及ばないレベルで相手が苦しんでいるってことだ。
最近、僕と同い年で一回り上の男性とお付き合いをしている女友達から相談の連絡が来た。
その男性はある地域を統括する役職に就いているようで、トラブルが立て続けに起こっていることを上席に連日叱責されていたらしい。
その話をぽろっと彼の口から聞いた彼女は、「どうにかして励ましてあげたいと思ってはいるもののなんて言えばいいかわからない、どうしたらいい?」ってことだった。
彼女は僕と同い年のサラリーマンで、当然支部を任されるような経験をしたことはないし、ましてや会社の役員級から自分のプロモーションがかかるような叱責を受けた経験なんてしたことがない。
経験だけに限らず、統括長として成果出し続けなければいけないプレッシャー、それを為すだけのスキル、管理職としての視点、物の考え方、そういったもの全てのレベルが全く土俵違いなわけで。
となると、どんな言葉をかけたら相手がどんな反応を示すかなんて想像できようもないから、かける言葉が見つからないも当然だ。
じゃあ、自分が本当の意味で相手に寄り添えない時、僕らはどうすることもできないのか。
どうにかして力になってあげたい、その想いが変わることはない。
だったら、ただ傍にいて相手が口を開くのを待つ、それだけしか出来ることはないんじゃないかなって思っている。
おそらく、相手と同じ土俵に立てていない状態での励ましの言葉なんて、正直相手に刺さることなんてないし、下手をしたらより孤独にさせてしまう可能性だってある。
解決策を提示したり、勇気づけたりできないからこそ、相手の辛さを一心に受け止める。向こうの思うがままに話が出来るように、ただ穏やかに相槌を打つ。
そうやってなんとか相手の悲しみに寄り添うとすることが、最も相手の気持ちを楽にさせて、元気を与えられる唯一の方法だと、今は考えている。
ちなみにさっきの女友達にも同じような話をしてみたら、ひとまず全部話してくれて、力になれたかはわからないけど、「ありがとう」って言ってくれた、っていう結末だった。
余談で、銀座ホステス兼心理カウンセラーの塚越さんの本では、落ち込んでいる相手の発言を拾ってポジティブな意味に変えることで元気づけるテクニックが紹介されてある。だけど、これはたぶん塚越さんが銀座のトップホステス=人間関係に精通しているという大前提があってこそ成り立つテクニックだと思っている。
なんにせよ、悩みを抱えている人間と同じ土俵に立てていない限り、本当の意味で寄り添うことは難しい。