若さが贈る

いつまでも、心に青春を。

5ヶ月を振り返って&お休みのお知らせ

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ブログを始めて5ヶ月が経った。

5ヶ月目のPV数は1,753PVと、過去最高のPV数を誇った。

最初の1-2ヶ月が400PV前後だったことを思うと、少しずつではあるが、徐々に徐々に結果が出てきている、そんな感じだった。

 

今日は定例の1ヶ月毎の振り返りに加えて、1つお知らせがある。

これから3ヶ月、ブログから離れようと思う。

理由は、このブログを書いてる僕自体のレベルアップにまとめて時間を割くためだ。

そしてもう一つ、もっとブログを世に広める準備をしたいと本気で考えたからだ。

書くからには読んでもらう。そのためにどうしないといけないのか、どんなブログにしないといけないのか。

そこを一生懸命考える3ヶ月にしたいと考えている。

『走りながら考える』といった器用なことが出来ない僕は、立ち止まってゆっくり考える時間が必要なのだ。

 

最後に。

最終的にこのブログの一つ一つの記事を通じて、溢れる若さを読者の方々に伝えたいと本気で思っている。

甘ったれた考え、怖いもの知らずの無鉄砲さ、夢ってやつへの憧れ、そういった色々ぐっちゃぐちゃになった青春とやらを、魂を込めて書いていきたい。

 

だから、僕自身もまずはパワーアップするし、読まれるブログを作り上げていかないといけない。『書きたい記事を書く』ってことは、そうそう簡単じゃない。

その準備期間として3か月だ。

 

絶対に帰ってくる。

今まで読んでくれた読者の皆さん。

気づけば13人になっていた。

本当にありがとうございました。

 

絶対に自分のハートを込めた文章を三か月後に再び届けます。

 それまで、アディオス。

漫画の名言から学ぶ!ー才能とは、センスとはー

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男なら誰しも必ず一度は通る道、少年ジャンプ。

”友情、努力、勝利”の三原則を貫き続けるこの週刊誌は、現代に至るまで数々の名作を世に送り出してきた。

ドラゴンボール、ワンピース。

世界的にも大ヒットを叩き出す王道といえば、冒険ストーリーだった。

しかし、最近はファンタジーや冒険ものより、スポーツ漫画が少年ジャンプを支えるようになってきた気がする。

 

桜木花道の成長と共に高校バスケを描いたスラムダンク

名実ともに少年ジャンプの代表作となった本作からもわかるように、努力と勝利に青春が混ざり合う熱いストーリーに読者は心を打たれるのだろう

そんな時流の中、僕が今最も熱いと思っている漫画は『ハイキュー!!』だ。

 

ハイキュー!! 28 (ジャンプコミックス)

ハイキュー!! 28 (ジャンプコミックス)

 

 

 かつて強豪と言われた時代、”小さな巨人”の活躍に導かれ全国の舞台に立った烏野高校バレー部。

”落ちた強豪、飛べないカラス”と言われるようになっても、彼の姿に憧れた少年たちは、全国の舞台で闘うことを夢見て集う。

とんでも主人公コンビを中心に、それぞれのキャラクターがこれまでの自分を超えていく高校バレー漫画なんだけど、まあこれが楽しいんだよ。

前述のとおり主人公以外のキャラにもスポットが当てられていて、色々な性格・価値観を持つ登場人物が勝負事を通じて成長していくから、みんなかなり魅力的なんだけど、その中でも特段人気のあるキャラがいる。

 

名前は及川徹。

烏野高校バレー部の県下最強のライバルとして描かれる青葉城西高校のキャプテンだ。

彼は幼少期から抜群の活躍を見せるが、全国5本指に入る他校のスパイカーに県大会優勝を阻まれ続け、中学時代に後輩として入った天才主人公の迫りくる才能に圧し潰されそうになる。

 そんな環境の中で、ある日自分の能力に自分で限界をひいてしまう。

それに対して、コーチはこう諭す。

 

「ホントにもう限界といえるのかね。」

それ以来、彼の胸にはずっとある想いがあった。

 

才能は開花させるもの。センスは磨くもの。

 

それが数々のスーパープレーを生み出し、抜群の天性をもつ主人公からも「敵わない」と言わしめるほどの実力に至った。

 

 

さて。

あなたはこの言葉に何を感じるだろうか。

 

 

かつての僕なら、これに対してなんら共感を持たなかった。

おそらく、こういうだろう。

「才能は特別なもの。センスは光らすもの。」って。 

だけど、その価値観に社会人になってから変化が現れた。

 

センスと言われるものが、幼少期から絶えず磨き続けて来たものだったと気付いた。

 

社会にでると、持ち前のスキルを評価されることが増える。

コミュニケーション、プレゼン、ルーティンワークの速さ、色々ある。

僕はその中でも日本語能力がずば抜けて高いと評価をしてもらうことが多かった。

文章力や、表現力じゃない。日本語としてよどみなく文章が頭に入ってくる、そんなタイプらしい。

それがあってか、ドキュメントものの課題となると、「センスがある」と言われることが多くなった。

 

だけど、僕かしてみたらこれにはセンス云々じゃなくて納得できる理由があった。

 

さかのぼると中学2年の秋。

ひょんなことで学校の代表として市の弁論大会に出ることになった。それから一か月、国語の先生とマンツーでひたすら文字との向き合いが始まった。

やっていて嫌じゃなかった。

7分という限られた時間の中にどれだけの情報を叩き込むか、そのためにどれだけコンパクトな文章を書くか。

聞いた時に違和感がないか、テープに録音して何度も何度も書き直した。

一カ月間、みっちりしごかれた結果、今度は県大会にでることになった。

そこからまた一か月、更なる追い込みがあった。推敲に推敲を重ねた。

 

おそらくここが、僕の文章へのこだわりの始まりだった。

高校時代は現代文のテストがものすごく好きだった。

限られた文字数の中に求められている解を全部埋め込むために、文章を研ぎ澄ます必要があった。

点数稼ぎのため、あたかも問題の内容を理解しているような文も書けるようになった。

大学時代、法学部のテストやレポートでもそれは発揮され続けた。

 

そして、自分では意識していなかったこの10数年間の積み重ねが、気づいたら才能やセンスとして評価されるようになっていた

 

 

このことに気づいてから、センスはもともと持っているもんなんかじゃなくなった

才能も同じ。たゆまぬ修練の果てに花開くものだと気付いた。

 

 10代の時はなにも感じることがなかった時間の重さ。

大切に積み重ねてきたものが20数年を通じて個性として花開きだし、それぞれの得意なこととなっているのがこの歳になってようやくわかる。

だからこそ、強く思う。

みんなはなから才能があるやつなんかじゃないと。

みんな、それぞれの思い入れが何かしらあって、意識無意識に関わらず、力を注いだものが武器として花開いているんだと。

 

 

才能は開花させるもの。センスは磨くもの。

まさにその通りだ。

あなたが怒られるのはコミュニケーションコストがかかるせい?-対人関係の悩みを伝える側から考察する。

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コミュニケーションの問題は、些細なことから大きなことまで日常のありとあらゆる場面で起こっている。

恋人とのやり取り、上司とのやり取り、家族とのやり取り、親友とのやり取り。

 あからさまに怒られたり、面倒くさがられたり、時にはシンプルに「で?」と言われてしまったり、それらを引き起こしてしまう原因は相手の気持ちを察することが出来ていないことだったり、そもそも話の論点がずれてしまっていたりと色々存在するのだろうが、今回は『話のゴールまで中々たどり着けない』人について触れたいと思う。

 

注意書き的になるが、僕は基本対人関係においてどちらか一方が頑張らないといけないという考え方は嫌いだ。

例えば、「君何言っているかわかんないから出直してこい」と一方的にキレたりするのはイケてるとは思わない。

伝える方にはちゃんとわかりやすく伝えるという責任もあるが、聞く側にだって肝要な心で相手の話がつたなくてもなんとか理解してあげようという姿勢は大切だと考えている。

要は、どちらか片方がコミュニケーションの責任を負うんじゃなくて、相互にリスペクトしたうえでお互いに歩み寄る努力が大切だって考えている。

 

じゃあ、どうやって『相手に歩み寄っていく』かについてだが、これから発信側について書きたいと思う。

 

 

相手にエネルギーをかけさせてしまう人

 

恐らく発信側ー何かしらのことを誰かに伝える際に苦手意識を持っている人は、普段のやり取りの中でよくわからないけどなぜか怒られる、雑な返しをされる、詰められる、もしくは単刀直入に「だからさあ!!」って言われるといった経験はないだろうか。

 

それは、あなたが相手から見た時にエネルギーのかかる人間だからという理由からだ

 言い換えると、あなたが言っていることを理解することに頭を使ったり、意識を集中させたりしないといけない状態に相手をさせているということ

たぶん、話しながらうすうす自分でも「あれ、なんか自分の話がうまく伝わってないな」ということには気づいていると思う。

 

では、何がそんなにあなたの話を厄介なものにしてしまい、相手をイラつかせてしまっているのか、2つの理由を見てみたい。

 

 

そもそも何を言っているかわからない

 

あなたはきちんと話しているつもりでも、聞く側からしてみたら何を言っているのかわからないということは往々にしてあることだ。

「え、ちょっと待て。何言ってるのか全然わからない。」と言われてしまう時は大抵2つの原因がある。

それは、日本語的な問題で文章がそもそもなっていない(主語述語が抜けている、接続詞の使い方が適切じゃない、あれそれといった指示語が多すぎる)ことと、話を進めるうえでの前提条件を相手と共有できていないことだ。

 

日本語が出来ていないっていうのもけっこうな問題なんだけど、まあこれはちゃんと「誰が」という主語をいれることと、「こそあど言葉」をなるべく使わないようにして固有名詞を使うことを意識すれば大抵は良くなる。

接続詞やてにをはがうまく使えていない人は日本語の文法書を一回買って勉強した方がいいかもしれない。

ちなみに接続詞はこいつがおすすめ。

 

新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)

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それよりも、相手と前提条件を共有できていないことはかなり厄介な問題だ。

なんで厄介かって言うと、これが大抵話の冒頭に入れることを忘れてしまう。

ついつい質問などする時は「○○ってどういうことなんですか!?」って気持ちがはやって聞いてしまうんだけど、相手からしてみればどうしてあなたにその疑問が起こって自分はその質問に対してどんな答えを伝えればいいかが全く分からないのだ。

 

従って、まずは一旦気持ちを落ち着かせて「○○をしているときに△△というような問題が起こって解決策を教えてほしい」のように、話の最初に必ず相手に自分がこの話をするうえで共有しておくべき前提条件をしっかり伝えておくというのが、円滑なコミュニケーションでとても大切になってくる。 

 

 

何をしてほしいのかわからない

 

このタイプの人は「言ってることはわかった。それで結局何?」と言われてしまう人のこと。

相手はどうリアクションを取ってほしいかわからず、その結論に辿り着くまでに長いラリーが必要になるからうんざりさせてしまう

こいつを引き起こす主な原因は、『こう言ったらこう動いてくれる』っていう暗黙の了解において世代間や立場で認識の差があること、あとは単純に伝える順番を整理できていないだけということが挙げられる。

 

 この二つの中で、特に暗黙の了解の差は厄介な問題だ。

これは正直伝える側でも聞く側の問題でもないような気がするけど、対応策としては経験の中で暗黙の了解を感じ取っていくしかないと思っている。

例えば

 

反対に物事の伝え方を整理できていないのは100%伝える側の問題だ。

これは大いに改善できる要素で、意識してほしいのは結論⇒理由の順番で話を組み立てることだ。

このように結論、相手にどうしてもらいたいかを先に持ってくることで、「早く結論言って!」とせかされることもなくなるし、ましてや結論を言わずに「で、結局何なの?」と詰められることも無くなる。

 

 

最後に

 

コミュニケーションコストがかかる人って、やはり相手からしてみるとめちゃくちゃ鬱陶しいもの。

「頑張って理解してよ!」のスタンスで自分が全く努力しようとしないのは、伝える側の怠慢だ。

従って、上記のことを意識するだけでもあなたの対人関係は格段に飛躍するだろう。

 

次は聞く側の視点で書こっと。

『数学が好きな人は法学部にいくと楽しいんじゃないのか』って自論を思いついた。

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最初に断っておくと、数学と法律って結構似てる気がする、と思ったっていうだけの話だ。ホントにただそれだけ。

だから、落ちもなんもない話だけど付き合ってもらえたらと。笑

 

 

僕は大学時代に法学部で法律を学んでいた。

なんで法学部を選んだのかっていったら色々理由があって、当時はやりたい仕事がなくて”潰しの法”と言われてるくらいだから後々損はないなーって考えてたり、

小さい頃からなぜか親が六法全書を読めって言っていて他の学部より親近感があったり、

そもそも大学の中でもキング・オブ・学部だし(要するに一番じゃん)って思ってたり、

大学受験の答えを覚えてはきだす勉強にうんざりしていたから自分の頭を使って色々考える学問がしたいって考えてたり。

まあこれっていう決定的な理由はないんだけど、そういったものが重なって法学部に行くことにした。

 

結論、大学4年間法律を学んでよかったと思っている。

盛るとかそういうの抜きに、純粋に楽しかった。

教養という意味でも十分すぎるくらいアカデミックな内容だし、刑法や民法は実生活に即する内容で興味をもてたし、なによりもロジカルな思考が求められることが一番楽しかった。

で、そんなことを友達と話していると、「そう言えば大学受験の時の数学と法学部の試験って基本的に解き方一緒だな」って思ったので、今回はその話。

 

法学部って何するの?

 

正直法学部ほど何をするかイメージの付きやすいものはないと思っている。

絶対これまでの人生で他の学問と比べて耳にする機会が多い。これは断言できる。

多分みんなが一般的に抱いているイメージは、六法って呼ばれる主要な法律を中心に勉強して、法律(条文)を読みながらこういった事件が起こった時にはこうだ!っていうのを考える学問なんだろうなーってとこじゃないだろうか。

だいたいそれでいいと思う。笑

 

4年間結構本気で法律を勉強した(と思っている)立場から言わせてもらうと、法律を学ぶと一言にいっても3つのタイプがあると思っている。

それは、概念について学ぶものと、実務として利用されるものと、ルールを知るものだ。

具体的な分野で言うと、概念について学ぶものは憲法行政法といった抽象的なお話をする法律。

実務として利用されるものは民法や刑法。想像しやすいと思う。

ルールを知るものは租税法や商法。「税金を取るときはこの決まりに従ってくださーい」や「会社作るときはこれに書いてある通りに作ってくださーい」といった規則を明記した法律。

 

そしてこれは一個人としての見解なんだけど、この3つのタイプの中で実務系が勉強していて一番面白いと思う。

単純に民法や刑法は身近なことの話をするから興味をもちやすいっていうのもあるんだろうけど、とある事案に対して法律と裁判例を根拠にしながら自分なりの答えを導き出すっていう過程が抜群に楽しい

 

例えば刑法だったら、Aさんという人は○○ということをしました。

○○をしたら△△だという法律があり、その△△という法律には□□という解釈の仕方と××という解釈の仕方の2通りあります。

というわけで、Aさんの罪は□□の時はこれになって、××の時はこれになります。

私は◎◎という理由で××の方がより正しいと思うので、Aさんは@@という罪になります、みたいな。

 

この回答、どっかで見たことある気がしないだろうか?

 

 

大学受験の数学

 

数学、といってもここで僕が指しているのは二次試験で筆記問題で出される数学のことだ。東大とか一橋とか。阪大もあったけな?

めちゃくちゃ懐かしいけど、青チャートレベルでもあったと思う。

 

だいたいここまで話して、ピンときた人もいるんじゃないだろうか。

そう、場合分けってあるじゃん

なんか数式計算して二次曲線みたいなグラフと円描いて、〇≦x≦△のとき、y=〇x+◇だからその部分は点線じゃなくて実線で書いて、みたいな。

 

もうこれが刑法、民法の解き方とものすごく似てる、というかそのまんま。

場合分けして、答えはこれですって解答を示す図式、もうそっくりだよね

 

 

最後に

 

ということで、法律(民法、刑法)と大学受験の数学の問題ってめっちゃ似通っている。

だから、数学の問題解くのが好きな人は法学部いけば楽しめるんじゃないかなあと、そんなことをふと思った。

 

働いてからじゃないとわからない?学生に知っておいてほしい大手企業とその他企業の決定的な1つの差。

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思うに、大手企業とその他企業の間には決定的な大きな差が1つある。

それは、給料だ

「そんなの当たり前だよ」と、耳もふたもない話だよと言ってしまうと話はそこで終わってしまう。実際、今の新卒の給料は証券以外の大手企業だったら大体横並びで、初任給が20万程度だろう。

それに対して中小は20万に届くか届かないかが平均的なところだろう。色々資料を見てみるとだいたい18万くらいなのかな。

 

 初任給だけでも、目に見えている部分だけでも給料は違う。

ここからボーナスという更なる違いが降ってくる。

ボーナスは基本的に月給×何ヶ月分という計算式で決まっている。

だから毎月の給料に差がある大手企業と中小企業は、ボーナスでも差が出てくる。

ベースの月収が違うどころか、掛けられる月数も違ってくる。

東京海上は新卒1年目で地域職の女の子でも夏冬合わせて100万を超える。

商社の覇王・三菱商事は2年目の夏で額面は100万になる。

クリエィティブの鬼・博報堂は2年目でボーナスを合わせて600万はゆうに超える。

 

これだけならまだいい。

大手企業には福利厚生というものすごいものがある

一流企業の中でも超絶ホワイトと言われているNTTドコモ

僕が就活していた時は社員に自社携帯を配り、借上げ社宅は6畳のデザイナーズマンションに1万円で住めた。

農林中央金庫中央区のど真ん中に7畳で同じくらいの金額だった。

シンクタンクの雌・野村総合研究所は家賃補助が6万出た。

商社の異端児・伊藤忠商事は海外勤務で家賃補助が毎月日本円で40万相当、引っ越し手当で40万だ。

大手企業のサラリーマンは、彼らが手にしている以上の恩恵を会社から受けている。

 

 

なんでこんなにお金をもらっているのか、考えたことがあるだろうか。

いい会社に入るためにはいい大学を出ないといけないから、塾や学費に今までたくさんお金を払ってきた見返りとして?

それとも難関をくぐり抜けた彼らはビジネスパーソンの中でも能力が高いから?

 

違う、会社に利益が出ているからだ

大手企業は中小企業と比べて莫大な利益を出している。

売上は兆超えで利益は何千万という会社はザラにある。

「その分社員が多いじゃないか!」、社員一人当たりの利益率でも中小企業と比べたら軒並み高い。

そう、利益が出ているからその分たくさんお給料ももらえるよって話だ。

 

じゃあ、

その利益は一体誰が稼いでいるのだろう。

誰がこの莫大な売上を稼いでいるのだろうか?

 

そこには社員の力だけじゃない、ブランド力というものが大きく関わってくる

大手企業というだけで、信頼がある。

大手企業の実績が、安心を生み仕事を呼び込む。

そう、社員の頑張り以外にも会社がお金を稼いでくれている。

 

 

一概に仕事はお金じゃない。

夢とか、やりたいこととかがある。

でも、正直それってお金をもらわなくてもやりたきゃやればいいじゃんって思う。

別に映画が作りたいなら勝手に映画を作ればいい。

クリエィティブな仕事がしたいならフリーペーパーを創ればいい。

 

なんで商社に入りたがる?

どうして会社に勤めたがる?

自分でやるよりも知名度が高くて、大きな仕事を手掛けられるから。

自分がしたいことは金融といった専門性のある職業で、会社に入らないと無理だから。

それもあるだろう。

 

生きていくためにはお金がいる。欲しいものを手にするにはお金がいる。

ヤリタイことをやろうよって、どうせ働くなら自分がのめり込めることをしようよっていうテンションの人が大半だろう。

 

生きるために働く。

 

綺麗ごとは抜きにして、この視点ってちゃんと認めなくちゃいけない。

だったら、どうせ同じように働くなら、同じ能力を発揮した時にたくさんお金をもらえる方を選ぶっていう選択も、十分ありだと思う

自分一人じゃ決断できない。-アドバイスをもらう時に気を付けるべき2つのこと。

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『決断する』という岐路に立たされる時、人は2種類に分かれる。

自分1人では決めることが出来ずにアドバイスを受け熟慮する人と、アドバイスをもらわなくても自分でドンドン道を切り開いていける人だ。

僕は間違いなく前者の人間で、大切な決断の時には恐怖や不安に負けたり、よりベターな選択肢はないかと考えたりと、いつも自分で決める前に人からアドバイスを受けている。

 

本当に小さい頃からアドバイスもらいまくり人間だったけど、『ちゃんとしたアドバイスのもらい方』の原型が出来たのは、大学生活が終わりに差し掛かったあたりだった。

就活やら就活が終わった後の大学生活の過ごし方やら今後の人生やらについて悩みに悩んでいた僕は、本当に年齢も性別もバックグラウンドも違う色んな人からアドバイスをもらいまくった結果、どうすればいいかわからなくなった。

今振り返ってみると、当時はいくつもあるアドバイスの中から、「どのアドバイスに従うことがベストなのか」というところに躓いていたような気がする。

その時必死に考えた経験、アドバイスをもらう時に大切だと気付いた2つのことについて、今日は話したい。

 

 

なぜ相手はそのアドバイスをしたかを考える

 

相手がそのアドバイスをなぜしているのかを正しく理解することは、アドバイスを受けるうえで最も重要な要素であると考えている。

なぜなら同じ事を言っているようなアドバイスがあったとしても、それらのアドバイスに含まれるメッセージが異なっていたり、同じ内容についてアドバイスをしているようでも、よくよく聞いてみると全く別の次元のアドバイスであることがわかったりすることが往々にしてあるからだ。

 

極端な例かもしれないけど、「絶対結婚した方がいいよ!」とアドバイスをするAさんと、「別に結婚はしなくてもいいよ。」というBさんがいるとする。ちなみに設定としてはアドバイスを受ける人は未婚者。

Aさんは40代で結婚をした世間一般で言うところの晩婚の人だ。

周りの皆が結婚していくのに自分だけ取り残されていった30代の苦い思い出ももちろんあるが、なにより家庭があるという幸せを噛みしめているからこそ「(独身よりも)結婚した方がいいよ」とアドバイスをする。

一方Bさんは法律家。

別にこのご時世、婚姻届けを出さなかったからって婚外子やその他諸々の権利も面で不都合や不利益が出るわけじゃないから、別に事実婚や内縁でもいいんじゃないのと考えている。実際にBさんには奥さんはいるが、婚姻届けは出していない。

夫婦としての関係があることは大前提で、「(法律的に)別に結婚はしなくても(事実婚で)いいよ」 とアドバイスをする。

 

こういった背景を読めなかったら、生涯独身でもいいかどうかの対立するアドバイスだと捉えてしまう。

それでもし「まあBさんは別に結婚しなくてもいいって言ってたし。」って考えて生涯独身を貫き通したなら、アドバイス通りになっていないってことになる。

 

じゃあ、こういったアドバイスの裏側を読み取ろうとしたらどうしたらいいか。

それは性別、職業、家族構成といった目に見えてわかる情報から、相手がどんな価値観を持っているのかというところまで考慮して、どうしてそのアドバイス(答え)に至ったのかについて想像力を掻き立てるしかない

それが言葉の理解を深め、より本質を突いたアドバイスを受け取ることが出来る。

 

 

 アドバイスが絶対正しいわけじゃないことを理解する

 

アドバイスをもらう人間が良く陥ってしまう罠に、アドバイスを受けた自分はそれに従わなければいけないという強迫観念を持ってしまうというものがある

かく言う僕も思いっきりそのタイプだった。

今の自分の考えよりもアドバイスをしてくれた人の考えの方が正しくて、アドバイスを聞かなかったら絶対失敗してしまうと思い込んでしまう。

この強迫観念が、アドバイスをもらうスタンスを狂わせる。

 

この強迫観念はめちゃくちゃ根強いもので、アドバイスを無視して失敗した時に「ほら、言ったとおりにしておけばよかったのに。」と言われる経験が積み重なれば積み重なるほど、アドバイスが絶対正しい、アドバイス通りしたら絶対成功する、みたいな考えがしみつく。

 

だけど、アドバイスで提示された選択肢もあくまで一つの指標でしかない

あなたの考えAがあって、アドバイスBがあるとするなら、Bを選んでいたからといって必ず成功するかっていうと、そういうわけでもない。

成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。客観的に考えると物事に絶対性はないし、そう思うとAもBも同じ土俵の選択肢のはずだ。

 

だから、『もらったアドバイスが絶対に正しいし、それに従わないといけない』なんてことはないということを理解しておく必要がある。

 

 

まとめ

 

相手のアドバイスを正確に読み取り、言い換えれば本質を捉えて、自分の状況に当てはめた時により良い判断になるかフラットな視線で判断する

これがアドバイスをもらう上で気を付けておきたいことだと僕は考えている。

これが出来るようになれば、もらったアドバイスは有意義なものとしてあなたの選択肢に生きてくると思う。

 

かける言葉が見つからない時、僕らに出来ることはただ傍にいることだけなんだと思う。

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大切な人が傷ついている時、落ち込んでいる時、励ましてあげたいけれど、どんな言葉をかければいいかわからないー。

こういった経験は何回かしてきたし、周囲の人達からも同じような状況になったことがあるって話を聞いたことがある。

 

かける言葉がみつからない。

どうして僕たちは時折言葉を失ってしまうのだろう。

それは、僕の好きなコラムニストの方の言葉を借りると、作用反作用が読めないからなんだと思っている

人間関係、それはささいな会話一つとってみても、自分が発したメッセージ(態度や言葉)に対して相手がなんらかのアクションを示す、ということで成り立っている。

そしてその発したメッセージに対してどんなリアクションが返ってくるかっていうメカニズムは、世界70億みんな共通ではない。

それぞれの価値観、バックグラウンド、現在おかれている状況、受け取られたメッセージは様々な要素でぐちゃぐちゃに反射して自分のもとへ戻ってくる。

昔、友人が「人間関係って想像力だと思ってるんだ」と言ってたが、まさにその通りで、自分の発したメッセージはこの人のブラックボックスの中でどのように形を変えて返ってくるんだろう、ということまで思いを馳せて自身の言動を選び抜くことで、人間関係はより円滑で堅固なものになっていく。

 

ちょっと話がそれてしまったけど、なんて声をかけたらいいかわからない時って、さっき話したブラックボックスの構成要素がどんな反射を引き起こすかわからないから、言葉を失ってしまうっていうことが大半なんだと考えている。

つまり、今の自分では想像力が及ばないレベルで相手が苦しんでいるってことだ。

 

最近、僕と同い年で一回り上の男性とお付き合いをしている女友達から相談の連絡が来た。

その男性はある地域を統括する役職に就いているようで、トラブルが立て続けに起こっていることを上席に連日叱責されていたらしい。

その話をぽろっと彼の口から聞いた彼女は、「どうにかして励ましてあげたいと思ってはいるもののなんて言えばいいかわからない、どうしたらいい?」ってことだった。

 

彼女は僕と同い年のサラリーマンで、当然支部を任されるような経験をしたことはないし、ましてや会社の役員級から自分のプロモーションがかかるような叱責を受けた経験なんてしたことがない。

経験だけに限らず、統括長として成果出し続けなければいけないプレッシャー、それを為すだけのスキル、管理職としての視点、物の考え方、そういったもの全てのレベルが全く土俵違いなわけで。

となると、どんな言葉をかけたら相手がどんな反応を示すかなんて想像できようもないから、かける言葉が見つからないも当然だ。

 

 

じゃあ、自分が本当の意味で相手に寄り添えない時、僕らはどうすることもできないのか。

どうにかして力になってあげたい、その想いが変わることはない。

だったら、ただ傍にいて相手が口を開くのを待つ、それだけしか出来ることはないんじゃないかなって思っている。

おそらく、相手と同じ土俵に立てていない状態での励ましの言葉なんて、正直相手に刺さることなんてないし、下手をしたらより孤独にさせてしまう可能性だってある。

解決策を提示したり、勇気づけたりできないからこそ、相手の辛さを一心に受け止める。向こうの思うがままに話が出来るように、ただ穏やかに相槌を打つ

そうやってなんとか相手の悲しみに寄り添うとすることが、最も相手の気持ちを楽にさせて、元気を与えられる唯一の方法だと、今は考えている。

 

ちなみにさっきの女友達にも同じような話をしてみたら、ひとまず全部話してくれて、力になれたかはわからないけど、「ありがとう」って言ってくれた、っていう結末だった。

 

 

余談で、銀座ホステス兼心理カウンセラーの塚越さんの本では、落ち込んでいる相手の発言を拾ってポジティブな意味に変えることで元気づけるテクニックが紹介されてある。だけど、これはたぶん塚越さんが銀座のトップホステス=人間関係に精通しているという大前提があってこそ成り立つテクニックだと思っている。

なんにせよ、悩みを抱えている人間と同じ土俵に立てていない限り、本当の意味で寄り添うことは難しい。

 

銀座No.1ホステスの心をつかむ話し方 (だいわ文庫)

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