25歳庶民の誓い。『大きなことはいらない。出来る範囲で社会と向き合っていく。』
6月も下旬迎えようとしている。
そろそろ働き始めるのかと思うと、時間が経つのって早いなあとしみじみ感じる。
今年は梅雨っぽい梅雨を体験せずに夏を迎えるようだ。
こうやって一年、また一年と歳をとっていくのかと思うと、少し怖い。
昨年と比べてこの一年で何をしたんだろう、どれくらい前に進んだんだろうって。
今月、僕は26歳になる。
26歳って言うと、世間ではどんなイメージなのだろうか。
そろそろ結婚も意識しだしたり、もう結婚していたりするような年頃で、いい大人の部類に分類されるのだろう。そんな中、まあ相変わらずフワフワしてます。笑
そんな僕が昨年の25歳の誕生日、ある"1つの誓い"を立てた。
それは『誰ハピPJ』を実行していくこと。誰かの幸せのためのプロジェクトを略してるんだけど、要は社会というか世界というか、そろそろ自分だけじゃなくて今生きているこの世界にもしっかり目を向けて関わっていく歳になってきた気がするからそうしようってことです。
そしてその活動の一環で『誰ハピ基金』っていうのを今回はやったので、その記事の前に一旦これまでの誰ハピPJの経緯についてまとめてみた。目を通してもらえれば嬉しいです。
誰ハピPJの発端
社会人2年目のゴールデンウィーク。
なぜか燃え尽き症候群っぽく何もやる気が起きなかった僕が、3日3晩近くの海に通い、日に焼けながらたどり着いた答え。
それが、誰かのハッピープロジェクトだった。
誰ハピが形になるまで
海での自問自答を経て一つの答えに辿り着いた。
しかし、なにかをやってみようとしたものの、具体的に何をすればいいのかわからない。
そんな僕が試行錯誤した様子がわかるのがこの2記事。
何をすれば良いか全く見当がつかない。
そこを突破すべく行ったことが、とりあえずゴミ拾い。
果たしてその活動に光明を見出すことが出来たのか・・・?
身近の人間を幸せにできない奴が、誰かを幸せにするなんて言う資格はない。
そんな言葉を突き付けられた、僕が取った行動とは・・・?
辿り着いた、誰ハピ基金
活動を具現化しようと試みる中で、いろんな考えが頭に浮かぶ。
その中で、僕が最終的に選び取ったものとは・・・?
今年何をしたかは次回。
傷ついたっていいじゃんか。もともと恋愛ってエモいもんなんだから。
最近彼氏できないのはなんで話が増えてきて、けっこう真剣になんでこの人彼氏いないんだろうって考えることが多くなった。みんな容姿のレベルは高いし性格もいい人たちだから、なおさらなんでだろうって考えてたら一つの共通点があることに気づいた。
それは、みんな恋愛に対して擦れてしまっていることだった。
なんか妙に達観してしまっているというか、遊んだ遊ばれたを繰り返してきたせいで感情が死んでサバサバしていた。今巷で人気の『東京タラれば女子』の主人公が、「私たちもういい歳なんだからやることちゃっちゃと済ませましょう。」って言うシーンがあるが、それ以上にシャキシャキしてしまっているのだ。
まあ、そんな擦れた人と本気で付き合いたいかって言ったら大抵の男性はノーだと思うし、遊びくらいで留めておこうと思われるのがいいところなんだろう。
そっか、だからあの人たち彼氏いないんだって納得していたら、ふと自分が擦れているって気づいたときの衝撃を思い出した。
擦れたきっかけははっきりわかっている。それは大学の時にある女の子とエッチしたことだった。彼女はそういうことをするのが初めてだったんだけど、僕にこう言った。「カズマ君、私のことどう思ってるの?私は好きな人いるんだよ。」って。その2週間後くらいに男の方から告白されて付き合いだしたらしいんだけど、僕にとってこの一連の出来事は衝撃的なことだった。同時に「ああ、女の子ってこんなもんなのか。」と、それまで抱いていた淡い恋愛観がガタガタと崩れ去った。
そこからは早かった。好きでもないのに好きと言い、彼氏がいようがいまいが関係ない。転がされることもあったし、名前すら聞かないでってこともあった。
そんな中、いつもみたいに寝た女の子のことを本気で好きになってしまった。
結局、しばらく付き合って向こうからふらてしまったんだけど、本当に彼女のことが大好きでどうしてもよりを戻したくて、今までの自分を真剣に振り返った。
そうしたら、自分がただ傷つくのが怖かっただけの臆病者だったことに気づいた。
自分が本気になっても他で遊んでるからもしれないから自分も遊ぼう、告白して振られるよりもなあなあの関係の方が一緒に入れるし楽だし、とか。
そんな自分勝手な臆病さで擦れてしまって、真正面から相手に向き合うことが出来なくなってしまっていた。
で、当時は自分が擦れてるってことに気づいてなくて、なにかがきっかけで「ああ、擦れてたんだなあ」って思って友達に「俺ってひょっとして擦れてる?」って聞いたら「え、今頃?」ってビックリされたんだっけ。
なにはともあれ、恋愛は最高に楽しくて、人生を満たしてくれるものの1つだと思っている。
なぜならそこにたくさん感情の起伏があるからだ。好きな人の一挙一動に目を奪られて、ラインの返信1つにしてもあーだこーだ思い悩み、二人の今後の関係に想いを馳せながら毎日を過ごす。付き合ってる時だって片想いの時だって、時には好きな人と一緒にいれるのが楽しくって、時には上手くいかないこともあって傷ついちゃって。そのこと自体が恋愛の醍醐味じゃんか。
だからそこにフタをしちゃったら、もうなんで恋愛してんのかが意味わかんなくなってしまう。ずるくなるなよ。逃げるなよ。
モテるモテないとか以前に、そうやって擦れてったって多分心はますます満たされなくなっていくばかりだ。もともと恋愛なんてエモいもんなんだし、真正面から怖がらずぶつかっていこうよって。それで振られたっていいじゃんか、それでギクシャクしたっていいじゃんか。その姿勢の積み重ねが、二人の関係を丁寧に築いていくってことなんだから。
さーて、サヨナライツカでも読むか。
Airbnb使って一週間ニューヨークに行ってきた。
昨年の秋に一週間くらいニューヨークに行った。
ちなみに社会人になってから初海外旅行&人生初NYだった。NYに行ったのはテイラースウィフトの影響。Welcom to NewYorkっていう曲があって、これひたすらNYへようこそって歌ってるような曲なんだけど、全世界でヒットになってしまう街ってどういう街なのか肌で感じたくなったっていう、いつも通りの感じで。
それはそうと、僕は海外行った時にまだ一度もちゃんとホテルに泊まったことがない。ホステルのドミトリー、カウチサーフィンで現地の人の家、駅や住宅街で野宿、もはやアパート借りる等に慣れていたため、なぜかホテルに泊まるのが怖くなってるんですよね。なんか海外のホテルのシステムよくわからないし。ホテル代以外に色々お金かかってくるっぽいところとか。ちなみに僕に旅行会社のパックという選択肢はありません。全部自分で手配したい派です。
で、ホテルに泊まるのは怖いから却下、この歳になって野宿とドミトリーは疲れるから却下、カウチサーフィンも時間かかるから却下、あれ、泊まるとこなくね?ってなってた。そんな時、偉大なる旅人の友人から「Airbnb使えばよくね?」とのアドバイスがあって、それだ!ってことで巷で噂のAirbnbを利用したので、実際どんな感じだったか、これから利用を検討している人、もしくはちょっとでも興味のある人の参考になればと思う。
Airbnbって何?
宿泊施設・民宿を貸し出す人向けのWebサイトだ。ウィキペディアによると世界192か国の33,000の都市で80万以上の宿を提供しているらしい。
ざっくり言うと、部屋余ってるから誰か泊まりにおいでよ、ホテルより安いからさって人がホスト登録していて、泊めてもらいたい旅行者が泊めてーってメッセージを送って日程が合えば泊まれるってシステムだ。
一週間のリアル
多分宿探すのに2週間弱はかかった気がする。条件によるとは思うんだけど、僕は滞在中移動するのが嫌でフル泊まりしたいっていう希望を出していて、そのうちの数日いないとかで結構はじかれました。
で、結局決まったのがフライトの12時間前。職場の食堂で歓喜の雄たけびを上げてしまったことを今でも覚えてます。これが決まらなかったら野宿だったからねー。
金額的には普通にホテルに泊まるときの5分の1くらいに収まったと思う。
ホストによると思うんだけど、僕のホストは多分60歳付近の女性で英語だけだったのでやり取りは基本英語だった。サイトで電話番号教えてSMSでやり取りって感じ。時差が14時間あるから中々スムーズにいかなかったけど。
僕的にメチャクチャ当たりのホストでした。
何から何まで面倒見てくれた。グランマー!って感じ。笑
おすすめの遊び場とか、交通手段とか、帰るときとか空港までのバスの手配までしてくれたし。そんで外でご飯食べない時はご飯つくってくれた。これは嬉しい誤算で食費が抑えられるし、なによりもNY一般家庭のスタイルを味わえるっていう。あ、ちゃんと手見上げも持っていきましたよ。
あと立地がめちゃくちゃ良くて、これは本当にやばかった。ヘルズキッチンっていうマンハッタンの西側だったんだけど、部屋が23階で向かいのニュージャージーの夜景がこれまた綺麗に見えること。ホテルだったら無理だろうなあって思った。
ただ不便に感じたことが一点だけあって、それはホストとの在宅時間を合わせないといけないということ。僕のホストは何時に帰ってくるか連絡してくれたら何時に帰ってきてもいいよ、クラブでも行ってきなさい的なノリだったんでよかったんですが、まあやり取りが面倒くさいのと好きな時に家に帰るっていう自由度が低かったのがちょっとなって感じでしたね。
まとめ
楽しいですよ、普通に。笑
どうしても対人だから定性的な部分が大きくて一概に評価は出来ないけど、泊めてもらってる間に現地の暮らしが体験できるし、普通にホテル泊まるより俄然安いし、なにおより簡単に現地の友達が一人出来て心強いっていうのが大きいと思う。
あとはありきたりなんだけど、トラブルには気を付けてねってとこですかね。特に女性の方々。
興味があれば是非一度利用してみてはいかがでしょうか。
企業はヤリタイこととカルチャーで見極める。新卒採用を失敗して転職したMARCHマンが薦める2つの観点。
この前就職活動中の後輩に会ってきた。
今の就活は6月から面接スタートになっているらしい。僕が大学の時は3年の12月からだったんだけど、僕の就職活動はというとまあ就活なんてその時やればいいやと思っていた口で、自分が何をしたいかもわからないままとりあえず人気企業を受けていって当初は全く予期していなかった企業に勤めることになってしまった、世に言うところの就職活動の失敗をした典型例みたいなものだった。
そして今回転職することになったんだけど、新卒採用の時にこれはしっかり押さえとけば良かったって思ったことが二つあった。
その二つとは、ヤリタイことと企業文化だ。
「なんだ、当たり前じゃん」「そんな耳にタコが出来るほど聞いたよ」と言われそうな気がするので、最初に言葉の定義を明確にしておこうと思う。
ヤリタイことと言ったら、何を思い浮かぶだろうか。法人に融資をしたい、車の設計をしたい、映画を撮りたい、色々あると思う。ただここで僕が言っているヤリタイことというのは、そういう業務レベルでおもいっきし絞り込んだことではなく、もっと手前の仕事を通じて実現したいことは何かということだ。
中にはヤリタイことの中身に強烈にこだわる人もいるだろう。ギターリストになりたいとか、コピーライターになりたいとか。でも、そんな風にヤリタイことの中身にまで業務レベルで落とし込んでいる人って、実はあんまりいないと思っている。
「休日も充実した社会人生活を今後送っていきたい」とか「とにかくエリートのステータスが欲しい」とか、そういった感じで思い描いている人の方が圧倒的に多いのではないだろうか。僕は全然どっちでも構わないと思っている。要は僕/私の理想がどの企業に勤めることで実現できるかってことを明確にできていればいい。
それをなんか色々就活セミナーとかで振り回されたり面接を意識しすぎたりして、業務レベルでヤリタイことを何としてでも見つけなきゃと思う余りにメンタルえぐらていってしまう就活生が非常に多いのではないかと思う。かくいう僕もその一人でした。
そうしてヤリタイことが明確になったら、ほぼ終わったようなものだ。
たぶんヤリタイことで一社にドンピシャで絞り込まれることってそうそうないと思ってる。そんな自分の理想を実現出来そうな企業候補数社を一社に絞り込む際に、企業文化という軸が大きい役割を果たしてくる。大きいところで言えば有休等社員の権利に関する考え方において日系と外資系では真逆のものだし、業界が違えば残業や福利厚生、働き方に関する考え方も全く違う。
要はその会社で働いている人達の大半と自分は同じ価値観を持てるだろうかってことを頑張って見極めないと、入ってから生きづらい思いをするわけだ。
僕は周囲に外資系や実力主義の会社に勤めている人が多い中でバリバリの日系企業に就職したため、正直色んな事に「はあ?」って思うことが多かった。
だが、この企業のカルチャーを見極めるというのは実際に働いてみないと見えてこない部分が大半だ。だからそういったことを確かめるためにインターンに参加したり、OB訪問したりして、出来る限り自分と合った企業を見極める努力をしたうえで、あとはミスったらミスった時だくらいの気持ちで一社に決めるのがいいと考えている。
まとめ
企業の見極めの観点ということでつらつら書いたが、これを外さなっかったら「ああ、ミスった」って極力思わないだろうなあと考えている。極力ミスったって思わないっていうのは、キャリア形成で後れをとらないってことだ。詳しくは下の記事を参照してほしいからここではあまり書かないけど、キャリアを方向転換した場合にはその方向転換した分野に初めからいた場合と比べてどうしても時間的遅れがでる。
「いや、そうやって迷った時間も良い経験だ」って言うならそれでいいと思うけど、大学4年間もあるんだから就職活動始める前に迷っておきなさいよっていう話なんだよなあ。これは過去の僕にもめちゃくちゃ言いたい。就職活動は確かに3年生の最後らへんからで関係ないように思えるかもしれないけど、そういった軸を探すっていう作業は入学と同時に始めんかいと。
今頑張ってる就活生の皆さんの、後悔のない選択に役立てば僕はうれしい限りです。
友達がポルシェのケイマンを買いたいって言うからついていってきた話。
大学来の友達がポルシェを買いたいということで、先週末ポルシェジャパンにいってきた。
結論から先にいうと、納車が1年先になるとのことだったので今回は止めておこうと結局購入に至りませんでした。ちなみに彼が購入を検討していたのはケイマンっていうタイプで700~800万くらいだった。
僕は全く車に興味がなかったけど、今回一緒に行ってみて面白いなあと興味深く楽しめたので、是非ポルシェの購入を検討されている人の情報源になればと、今回記事にまとめてみることにした。
高級ディーラーの店内
そんなこんなで東京都内にあるポルシェジャパンに行ってきたわけだけど、やっぱり外車を扱う店舗はトヨタとかホンダとかと比べて高級感が一味違った。
綺麗な受付のお姉さんに予約してきた旨を伝えると丁寧に対応してくれた。(予約制らしい)
担当の者が来るまで少々お待ちくださいと言われたので、展示車をふらふら見て回ることにした。「おお、桁が8ケタかあ」と驚きを通り越して感心しながらポルシェを見ていると、いかしたスーツでびっしと決めたいかにも営業マンっていう営業マンさんが挨拶に来た。
応接スペースに通され飲み物とチョコが出されたんだけど、コースターは銀のプレートにポルシェが描かれているもので、さすがに徹底しすぎてて笑った。あ、余談です。
3通りの購入方法
そして、さっそく購入検討の話に入った。
まず、ポルシェは買ってしまうかリースにするかがある。
個人の場合は基本購入だけど、こういう海外の高級車は社長陣が購入することが多いため、経費で落としたいからリースで利用する人がいるとのことだった。
基本は購入と言っていたので、実際に購入する時の支払い方法を教えてもらった。
方法は3通りあるとのことで、それは現金一括か、2通りのローンの組み方だった。
ローンについてはここでは詳しい話は避けるが、月々の返済額を調整するために2通りに分けていると考えてもらえればいいと思う。さすが高級車と思ったのは、現金一括が圧倒的に多いって話だった。営業の人も「まあ普通は社長が買っていきますからねえ。」と当たり前のように言っていた。金持ち恐るべし。
納車までの流れ
どのタイプをご検討中ですかという話になり、「ケイマンを、、、」と友達が言うとちょうど今年度の発注が終わったばかりで一年後の納車になってしまうことが発覚。
ものにもよるみたいだが、現在ケイマンは年次受注をしているとのことで、締め日が4月末と言っていた。「一年後って普通なんですか?」と尋ねたところ、ケイマンは需要と供給のバランスがあっていないらしく、購入のタイミングによっては年単位での待ち期間が発生することもあるとのことだった。
ちなみに左ハンドルになったら特注をかけるため、更に時間がかかるらしい。
また、基本的な購入の流れは、ポルシェジャパンに頭金100万を収める→発注→納車となる。つまり、最低でも頭金100万が購入時には必要になるとのことだ。
実際の購入金額は?
まあとりあえず最後まで話聞いてみようかと、色々と話を聞いた。
ポルシェは結構パーツ(装備)がオプションになるみたいで、車両価格プラスα40~60万くらいいくのが普通とのことだった。
例えばミラーを動かすようにしたり、クーラーの温度をデジタル表示にしたり、基本装備じゃないのかそれと思うようなものもオプションになっていた。
更に車両保険等が等級によるが大体40万くらいかかってくるとのこと。
つまり合計で車両価格プラス100万はゆうにいくみたいだ。
もはや僕にはひょえーって感じです。
まとめ
ポルシェを買うにはお金も時間もかかるんだなあとつくづく感心しました。
やはりポイントは頭金が100万いること、車両価格プラス100万程度は見積もること、欲しいと思ってすぐに手に入らないというのを頭に入れておくこと、なのだろう。
余談だけど、ポルシェの営業マンの話を聞いてものすごく印象的だったのが車を消耗品じゃなくて資産として捉えて常に話をしているところだった。
実際「あなたのお話を聞いている限り、ポルシェを乗り物としてだけでなく資産として考えているように感じるんですが、購入されていく方々はそのような捉え方をしているのですか。」って聞いたら、経営者の方が多いからどうしてもインからアウトまでの全体像を考えたうえでの話が多くなってしまうためそのせいだと思いますと丁寧に教えてくれた。
ちょっとお金持ちの世界が覗けた気がした一日でした。
どうしてあの女の子がモテるの?『ゆるモテ女子』の破壊力を男目線で徹底分析する。
「そんなに可愛くないし、特段なにがあるってわけじゃない。なのになんであの子は彼氏が尽きないの?!」
そういった経験をされた人は多いんじゃないんだろうか。
実際、僕の周囲でも私の方が可愛いのに彼氏できないのかなあって話はされるし、そういった『なぜかモテてる』女の子達も一定数周りにいた。
こういった女の子達は、恋愛コラムでいうところのモテるために大切な要素の一つである『ゆるさ』を持っている。隙を見せるのが得意とか書かれてたりもするけど、本質的なところを言うならば、男を恋愛に動かす技術に長けているというのが最大の特徴だ。
「よしっ、じゃあモテるためにゆるくなればいいのね!」と意気込んでゆるモテ女子を目指しても、じゃあ何すればいいんだろうってなってしまうと思う。というか、「ゆるいって何よ?」と聞かれることが圧倒的に多い。
そこで、ゆるいってなんなのかってことに今回は徹底的に文字を割きたいと思う。
ゆるいの本質
ゆるモテ女子と言われている女の子達のゆるさとはなんなのか、まずは感覚的に掴んでもらいたい。
それは、男に「この子なら口説けて彼女に出来るかもしれない」もしくは「こいつは簡単にやれるぞ」と思われるかどうかということだ。
ここで大切なのは、あくまで私という女の子が男から自分の恋愛もしくはハント可能圏内の人間だと認識されているか、ということだ。
よく言われる美人過ぎてモテないっていう人は、そもそも高嶺の花という認識で恋愛可能圏外(彼女になってもらえない)に大多数の男が分類分けしてしまうため、言い寄ってくる人間の絶対数が減ってしまって思った以上にモテないという現象を生み出しているというわけだ。
では男たちに可能圏内だと思わせている要素はなにか、出来る限り分析してみた。
普通より少し可愛い
これは生まれ持ったものだからどうしようもないことだと思うけど、これがゆるモテ女子がモテる所以だと思う。
さっきの高嶺の花じゃないけど、美人過ぎるとどうしても大多数の男は「自分じゃ無理だ」って引いてしまうもの。それに対して少し可愛いっていうのは「この子いいな」って思ってもらえて、なおかつ相対的に自分と比較しても落ち目を感じないから手が届くかもしれないという気をおこさせる。
そしてこれはもう好循環としか言いようがないんだけど、そういった少し可愛い女の子達は自分の容姿に自信があるわけでない。それが「私はモテる」「私は可愛いんだ」っていう思考を形成させるのを防ぎ、どちらかというと恋愛弱者の雰囲気を醸し出すことに一役買っているため、男達は引け目を感じることなくアタック出来るというわけだ。
とにかく押しに弱いのが雰囲気でわかる
これもゆるモテ女子をゆるモテ女子にしている所以であり、一番の要因だろう。
そしてこれこそ性格に依存する。
ホント正直押しに弱い子は見ればわかってしまう。普段から物事を断りづらかったり、思っていることを言えなかったり。彼女たちもそれなりの年齢になってくると経験が溜まり自分たちの押しの弱さを自覚しているため、ますますその雰囲気に磨きがかかってくる。
そしてこの雰囲気が、いわゆる肉食系男子諸君のアタックのハードルを著しく下げてしまうため、男が群がってくるというわけだ。
清純派である
これは言動及び服装についてだ。それこそ肌の露出がメチャクチャ多い服を着て、派手なギャル系のメイクして、「昨日も見ず知らずの人と寝たんだけどさー」って言ってる人には超肉食系というかそういう系の人しか寄って来ず、通常の男性陣は一線ひいてしまうだろう。しかもそういうのって彼氏につながることも少ないし。まあ男達もただヤレればいいって思ってるわけじゃないってことでしょうか。
体つきがちょっとエロい
なぜかゆるモテ女子って言われている人は細すぎず太りすぎずの人が多い。
スタイルがいいっていたら女性はモデルみたいで服をなんでもオシャレに着こなせてっていうのをイメージするかもしれないけど、男受けがいいのは少し脂肪がついててふにふにしているエロさを醸し出している人です。たぶん体脂肪率でいうと26%付近だと思う。
やっぱり正直なところ性的な対象となり得るかどうかっていうのは、モテと非常に高い相関性を持っています。
まとめ
いかがだったでしょうか。
モテるということを「たくさんの異性から言い寄られる、もしくは彼氏が途切れない」ということだと定義するのであれば、ゆるモテ女子が圧倒的な戦闘力を誇るのは間違いない。なぜならば、モテ数とは男女の相対的レベル認識に比例するものだからだ。S級の男じゃないといきづらい女の子と、B級の男でもいける気にさせる女の子では、どっちの方に数多くの男が群がるかなど一目瞭然だ。
だからモテるために多くの人がやりがちな「いい女」になることって、実は努力の方向性を間違っているのかもしれない。
「今の自分って口説こうと思ってもらいやすい?」というところに意識を集中してみたら、より多くの男が群がってくるようになるはずだ。
テクニック的な部分に触れてる記事。
是非これも読んでみて!
『とりあえずネゴらない』というネゴり方。
いつからかネゴればどうにかなることが結構多い、って考え方が身についていた。
きっかけは多分孫正義さんの受験エピソードを聞いたことだったと思う。確かアメリカの大学の入学試験で受験資格が無かったけど直接大学に電話して受験させてもらった、みたいな話だった。
まあ、本当に大抵のことはネゴればどうにかなってしまうことが多い。
これを実感したのはヨーロッパをバックパックした時だった。泊められないって言われたところを一時間ネゴりまくって最終的には他の宿泊客にも応援してもらいながらキッチンに泊めてもらったり、なぜか忘れたけど新幹線代ほぼチャラにしてもらったり。「言ってみるもんだなあー」としみじみ思ったことを今でも覚えている。
似たような話としてはインド。僕は行ったことがないけど、帰ってきた人達の感想を聞くと、交渉するのが当たり前の世界で価値観変わったみたいな話をよく聞きました。こういう話を聞くと、言われたことを「はいそうですか」と素直に受け入れることが全てじゃないんだなーっと感じる。
一見そうはいってもと思うかもしれないが、冷静に周りを見渡してみればそうであることは間違いない。
一例をあげるのあれば裁判の違憲判決だ。必ずしも法律によって定められたルールが絶対ではなく、間違っている可能性だってあることを示している。
歴史を振り返ってみてもそうだ。フランス革命は言ってしまえば貴族に対して「この階級制なんかおかしくないですか」とネゴって人権宣言を勝ち取ったものだ。
じゃあ、さっそく明日からなんでもかんでもとりあえずネゴっていきましょう、っていうつもりはさらさらない。だって、ネゴられた方ってけっこう迷惑なんですよね。当たり前だけど。いやあ、意味わかんないでしょ。てか面倒くさいでしょ。
あとはその「とにかくネゴってみろ」のスタンスが皆に浸透してしまったら、本当に秩序も何もなくなるってことが一番問題だと思う。とういうかそんな世界疲れるでしょう。
というわけで最近は自分の利益だけでネゴるのをやめるようにしてます。
「いやそれ普通に考えておかしいでしょ」っていう大切な時にだけネゴる。
そういったネゴって、意外にすんなりと受け入れてもらえたりする。
そして、ネゴった時は心の中で「面倒かけてごめんなさい、助かりました、ありがとう」っていう気持ちを忘れないようにしながら。